kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
慶祝と美とグノ-シスの弥増す日々
日々の過去の出来事

今日という日3月18日  1314テンプル騎士団団長ジャック・ド・モレー処刑される、ほか写真wikipediaテンプル騎士団の処刑

3月18日

20260218水曜日旧暦1月30日赤口(辛卯かのとうシンボウ)月齢 28.6

丙午ひのえうま月 辛卯かのとう月 辛卯かのとう日 年末まであと288日

吉方位 陽遁日 辛卯かのとう日 西 大吉

https://ja.wikipedia.org/wiki/3%E6%9C%8818%E6%97%A5

3月18日の出来事
1314年 – フランス国王フィリップ4世の命で捕えられたテンプル騎士団団長ジャック・ド・モレーが、宗教裁判で異端とされて焚刑に処せられる。
1937年 – ニューロンドン学校爆発事故。300人以上死亡。
1941年 – 北海道美唄市の三菱美唄炭鉱でガス爆発が発生[2]。死者・行方不明者177人[3]。
2015年 – バルド国立博物館での銃乱射事件が発生[14]。死亡22名。

1988年 – 名古屋妊婦切り裂き殺人事件が発生。2003年公訴時効成立。

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1314年 – フランス国王フィリップ4世の命で捕えられたテンプル騎士団団長ジャック・ド・モレーが、宗教裁判で異端とされて焚刑に処せられる。
1937年 – ニューロンドン学校爆発事故。300人以上死亡。

ニューロンドン学校爆発事故(ニューロンドンがっこうばくはつじこ、New London School explosion)は、アメリカ合衆国テキサス州のニューロンドンで1937年3月18日に発生したガス爆発を原因とする事故である。漏出した天然ガスの爆発によって300人以上の学生と教師が死亡した。

1941年 – 北海道美唄市の三菱美唄炭鉱でガス爆発が発生[2]。死者・行方不明者177人[3]。
2015年 – バルド国立博物館での銃乱射事件が発生[14]。死亡22名。

バルド国立博物館での銃乱射事件(バルドこくりつはくぶつかんでのじゅうらんしゃじけん)は、2015年3月18日にチュニジアの首都・チュニスのバルド国立博物館で、外国人観光客が武装した男2人組に襲われた事件である。

1988年 – 名古屋妊婦切り裂き殺人事件が発生。2003年公訴時効成立。

名古屋妊婦切り裂き殺人事件(なごやにんぷきりさきさつじんじけん)は、1988年(昭和63年)3月18日午後に愛知県名古屋市中川区富田町(現:名古屋市中川区供米田)で発生した、未解決の猟奇殺人事件[新聞 1][新聞 6]。

その異常とされる猟奇性で注目され[書籍 2]、地元紙『中日新聞』(中日新聞社)が「史上稀に見る猟奇的な凶悪事件」と表現した本事件は愛知県警察が約4万人の捜査員を投入して懸命の捜査を行ったが、有力な手がかりは得られず被疑者逮捕に至らないまま、事件発生から丸15年となった2003年(平成15年)3月18日に公訴時効を迎え未解決事件となった[新聞 5][新聞 7]。

チャットgpt先生の3月18日のエッセイ

3月18日という日 ― 炎と爆発と、忘れられない記憶

歴史の中には、特定の日に不思議なほど重い出来事が重なることがある。3月18日も、そうした日のひとつだ。宗教裁判の炎、爆発事故、テロ事件、そして未解決の犯罪。時代も場所も違う出来事が、この日に刻まれている。

中世ヨーロッパでは、騎士団の栄光と悲劇が交差した。1314年、テンプル騎士団の総長である ジャック・ド・モレー は、フランス王 フィリップ4世 の命によって異端と断じられ、パリで火刑に処された。テンプル騎士団は十字軍の時代に巨大な影響力を持った組織だったが、王権と財政の思惑が絡み、最後は陰謀と裁判の中で消えていった。炎の中で処刑されたモレーは、処刑台から王と教皇に呪いを残したという伝説がある。その真偽はともかく、権力と信仰がぶつかる時、人はときに理性よりも恐怖や利害に支配されるという歴史の象徴のような出来事だ。

数百年後、炎ではなく「爆発」が人々の命を奪う。1937年、アメリカ・テキサス州で起きた ニューロンドン学校爆発事故 は、天然ガスの漏れによって学校が一瞬で吹き飛んだ事故だった。子どもたちが学んでいた建物が崩壊し、300人以上の生徒と教師が命を落とす。原因は「燃料費節約のためにガスを直接引き込んだ」という人為的な判断だった。事故の衝撃は大きく、アメリカではガスに臭いをつける規制が導入されるなど、安全制度が大きく変わるきっかけとなった。

同じく爆発という形で悲劇が起きたのが、1941年の 三菱美唄炭鉱ガス爆発事故 だ。北海道の炭鉱で発生したガス爆発は多くの坑夫を巻き込み、177人が死亡・行方不明となった。地下深くで働く労働者たちは、常に見えない危険と向き合っていた。炭鉱の歴史は日本の近代化を支えたが、その裏側にはこうした多くの犠牲がある。

21世紀になっても、暴力の形は変わっても悲劇は消えない。2015年、チュニジアの首都チュニスで起きた バルド国立博物館襲撃事件 では、観光客が武装した男たちに襲われ22人が死亡した。博物館は人類の歴史や文化を保存する場所だが、そこが暴力の舞台になったことは象徴的だった。文化や知識の場でさえ、世界の不安定さから完全に守られているわけではない。

そして日本では、1988年に起きた 名古屋妊婦切り裂き殺人事件 がこの日に記録されている。極めて猟奇的な内容で社会を震撼させた事件だったが、犯人は捕まらないまま時効を迎え、未解決となった。犯罪の多くはやがて犯人が見つかるが、そうならない事件もある。残された家族にとって、時間が経っても終わらない一日があることを、この事件は示している。

こうして並べてみると、3月18日は「人間の危うさ」を映す日なのかもしれない。権力争い、技術の未熟さ、過激思想、そして理解不能な犯罪。どれも人間社会が生み出した影の部分だ。

しかし同時に、歴史は学びの積み重ねでもある。爆発事故の後には安全制度が整えられ、テロの後には社会が対策を考え、未解決事件は捜査の記録として次世代に残る。悲劇が完全になくなることはないかもしれないが、人はそこから何かを学び続ける。

3月18日という日を振り返るとき、ただ暗い出来事を並べるだけではなく、「同じ悲劇を繰り返さないために何ができるのか」という問いも浮かび上がる。歴史は過去の記録であると同時に、未来への警告でもあるのだ。