kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
慶祝と美とグノ-シスの弥増す日々
日々の過去の出来事

今日という日2月28日 1991湾岸戦争終結、ほかwikipediaイラク油田上飛行する米戦闘機

2月28日

20260228土曜日旧暦1月12日赤口(癸酉みずのととりキユウ)月齢 10.6

丙午ひのえうま年 庚寅かのえとら月 癸酉みずのととり日 年末まであと306日

吉方位 陽遁日 癸酉みずのととり日

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2月28日の出来事
1332年(正慶元年2月2日) – 千早城の戦い: 後醍醐天皇の倒幕計画に呼応した楠木正成が、鎌倉幕府軍が守備する赤坂城に攻撃を開始。
1972年 – あさま山荘事件で機動隊が山荘を破壊して隊員が突入し人質を救出し、連合赤軍メンバー5人全員を逮捕して事件が終結。
1991年 – 湾岸戦争が終結。湾岸戦争 年月日:1990年8月2日(クウェート侵攻)/1991年1月17日-同年2月28日[1]/3月3日[2] 場所:クウェート、イラク、サウジアラビア東北部など[1]。 結果:多国籍軍の勝利、地上戦開始100時間後にクウェートを解放し停戦[1]。 損害:アメリカ軍(多国籍軍) 戦死者: 約292名(米軍のみでは約148名)戦傷者: 約776名(米軍のみでは約467名) イラク軍 戦死者: 約20,000~35,000名(推定)戦傷者: 約75,000~100,000名(推定)

2013年 – 吉祥寺女性刺殺事件[5]。2013年(平成25年)2月28日午前1時50分ごろ、武蔵野市吉祥寺の路上で帰宅途中のアルバイト女性(当時22歳)が少年2人(ルーマニア人と日本人)に襲われ、背後から刃物で刺されて財布などを奪われる事件が発生した[1]。被害女性は病院に搬送されたが、背中の傷2か所のうち1か所は肺にまで達しており、ほぼ即死であった[2]。

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1332年(正慶元年2月2日) – 千早城の戦い: 後醍醐天皇の倒幕計画に呼応した楠木正成が、鎌倉幕府軍が守備する赤坂城に攻撃を開始。

千早城の戦い(ちはやじょうのたたかい)は、1333年(元弘3年、正慶2年)に後醍醐天皇の倒幕運動に呼応した河内の武将である楠木正成と、鎌倉幕府軍との間で起こった包囲戦。千早城は上赤坂城・下赤坂城と並び、現在の大阪府千早赤阪村に位置する山城である。

軍記物『太平記』では、2月2日に赤坂城で戦いが起き、その後連戦で千早城の戦いが発生して5月10日早朝に終わったと物語られているが、一次史料からは、上赤坂城の戦い(2月22日 – 閏2月1日)と並行する形で、2月27日に千早城への攻城戦が発生し(『楠木合戦注文』[原文 1])、5月9日に終了したことがわかる(『徴古雑抄』所載『和泉国松尾寺文書』[2][3])。この年は和暦では2月の後に閏2月があるため、三ヶ月半ほどの籠城戦だった。

鎌倉幕府が滅亡したのは、千早城の戦いが終了した12日後のことであった。

千早城の戦いに参加した鎌倉幕府軍は、正規軍19,000+北条得宗家私兵6,000で、おおよそ25,000(1割程度の非戦闘員を含む)と概算することができる[4]。


1972年 – あさま山荘事件で機動隊が山荘を破壊して隊員が突入し人質を救出し、連合赤軍メンバー5人全員を逮捕して事件が終結。

あさま山荘事件または浅間山荘事件[注釈 1](あさまさんそうじけん)は、1972年(昭和47年)2月19日から2月28日にかけて、長野県北佐久郡軽井沢町にある河合楽器製作所(本社・静岡県浜松市)の保養所「浅間山荘」[注釈 2]において連合赤軍の残党が人質をとって立てこもった事件である。
概要
1972年(昭和47年)2月19日、日本の新左翼組織連合赤軍の残党メンバー5人が、管理人の妻(当時31歳)を人質に浅間山荘に立てこもった。山荘を包囲した警視庁機動隊及び長野県警察機動隊が人質救出作戦を行うも難航し、死者3名(機動隊員2名、民間人1名)、重軽傷者27名(機動隊員26名、報道関係者1名)を出した。10日目の2月28日に部隊が強行突入し、人質を無事救出、犯人5名は全員逮捕された。人質は219時間(約9日)監禁されており、警察が包囲する中での人質事件としては日本最長記録である。
酷寒の環境における警察と犯人との攻防、血まみれで搬送される隊員、鉄球での山荘破壊など衝撃的な経過がテレビで生中継され、注目を集めた。2月28日の総世帯視聴率は調査開始以来最高の数値を記録し、18時26分(JST)には民放、日本放送協会(NHK)を合わせて視聴率89.7%(ビデオリサーチ・関東地区調べ)に達した[5]。同日のNHKの報道特別番組(9:40 – 20:20)[6]は、平均50.8%の視聴率(ビデオリサーチ・関東地区調べ)を記録した[5]。これは事件から50年以上が経過した2023年現在でも、報道特別番組の視聴率日本記録である。

1991年 – 湾岸戦争が終結。湾岸戦争 年月日:1990年8月2日(クウェート侵攻)/1991年1月17日-同年2月28日[1]/3月3日[2] 場所:クウェート、イラク、サウジアラビア東北部など[1]。 結果:多国籍軍の勝利、地上戦開始100時間後にクウェートを解放し停戦[1]。 損害:アメリカ軍(多国籍軍) 戦死者: 約292名(米軍のみでは約148名)戦傷者: 約776名(米軍のみでは約467名) イラク軍 戦死者: 約20,000~35,000名(推定)戦傷者: 約75,000~100,000名(推定)
2013年 – 吉祥寺女性刺殺事件[5]。2013年(平成25年)2月28日午前1時50分ごろ、武蔵野市吉祥寺の路上で帰宅途中のアルバイト女性(当時22歳)が少年2人(ルーマニア人と日本人)に襲われ、背後から刃物で刺されて財布などを奪われる事件が発生した[1]。被害女性は病院に搬送されたが、背中の傷2か所のうち1か所は肺にまで達しており、ほぼ即死であった[2]。

概要

2013年(平成25年)2月28日1時50分ごろ、武蔵野市吉祥寺の路上で帰宅途中のアルバイト女性(当時22歳)が少年2人に襲われ、背後から刃物で刺されて財布などを奪われる事件が発生した。被害女性は病院に搬送されたが、背中の傷2か所のうち1か所は肺にまで達しており、ほぼ即死であった。被害女性は青森県の高校を卒業した後は埼玉県に住む姉と同居して東京都の美容専門学校に通いながら美容師国家試験に合格しており、美容師として美容関係の仕事が決まったことをきっかけに一人暮らしをするため、2013年1月に吉祥寺へ引っ越してきたばかりであった。

少年2人は犯行直後に殺害現場近くのコンビニエンスストアで被害女性のキャッシュカードから現金を引き出そうとするも失敗した[1]うえ、路上で警察官から職務質問を受けて逃走した。この殺害現場近くの路上で逃走する少年2人と追跡する警察官を撮影した防犯カメラの映像は、報道機関に公開・報道されている。当日朝になり、ルーマニア国籍の少年(当時17歳)は他人名義の銀行通帳を所持していた占有離脱物横領容疑で逮捕され、翌3月1日には強盗殺人容疑で再逮捕された[1]。もう1人の日本国籍の少年(当時18歳)は当日こそ身柄を拘束されなかったものの、防犯カメラを解析した結果、駅から電車を乗り継いで立川方面に向かっていたことが判明した[2]。日本国籍の少年は3月2日夜に出頭し、翌3月3日に強盗殺人容疑で逮捕された[3]。

3月21日に東京地検立川支部は少年2人を東京家裁立川支部に送致し[4]、4月17日に東京家裁は検察官を送致した[5]。4月26日に東京地検立川支部は少年2人を強盗殺人罪で起訴した[6]。

少年2人は家出を繰り返し、不良行為を行う過程において共通の家出先としてアパートの部屋に入り浸っていた。そこにいた人物を介する形で2月上旬に知り合った少年2人は行動を共にすることが多くなり、ゲームセンターで遊ぶ金欲しさに強盗を計画すると、事件前日に国立市のスーパーマーケットで刃物を2本調達し、簡単に金を取るためには脅すよりも刺す方が有効と考え、真夜中に1人で歩いている人を狙い、たまたま通った被害女性を後ろから刺して財布などを奪った。少年は「犯行後に逃げる途中で刃物を捨てた」と供述し、捜索によって殺害現場近くのマンション敷地内で刃物2本が発見された。

2014年(平成26年)1月から3月にかけて東京地裁で裁判員裁判が開かれた。少年2人は殺意を否認したが、東京地裁は強盗殺人罪を認定し、求刑通り無期懲役判決を言い渡した[7]。その後、少年2人は控訴したが棄却され、無期懲役が確定した。

週刊新潮による実名報道

少年2人は当時未成年だったゆえに少年法に基づき匿名報道となったが、週刊新潮は彼らの顔写真と実名を掲載し、生い立ちなどを報道した[8]。

チャットgpt先生の2月28日のエッセイ


2月28日という日

2月28日は、歴史のなかで「包囲が解ける日」であり、「緊張が極まる日」であり、そして「命の重みを突きつけられる日」でもある。

1333年、後醍醐天皇の倒幕運動の渦中で起きた 千早城の戦い。楠木正成は圧倒的兵力の鎌倉幕府軍を相手に籠城し、奇策を用いて抗した。巨大な権力に対しても、知恵と覚悟があれば揺さぶることができる。その事実は、やがて幕府滅亡へと続く歴史の転換点の一つとなった。

1972年、長野県軽井沢町で起きた あさま山荘事件 は、この日、219時間に及ぶ籠城の末に終結した。テレビ越しに多くの人が見守る中、鉄球が建物を打ち、機動隊が突入し、人質は救出された。社会の分断と暴力が露わになった事件だったが、同時に「終わらせる」という国家の意思も示された瞬間だった。

1991年、この日は 湾岸戦争 の停戦日でもある。クウェート侵攻から始まった戦争は、多国籍軍の軍事行動によって100時間の地上戦の後に終結した。空爆、砂漠、炎上する油田。テレビに映る戦場は遠い国の出来事でありながら、世界秩序という現実を私たちに突きつけた。

そして2013年、東京・吉祥寺で起きた 吉祥寺女性刺殺事件。帰宅途中の若い女性が命を奪われた。歴史の大きな戦争や政治の転換とは異なり、ごく個人的な暴力。しかし遺族にとっては、それが世界の崩壊だった。

こうして並べると、2月28日は「包囲」「突入」「停戦」「終結」といった言葉が重なる日だ。
何かが限界に達し、破られ、終わる日。

だが、終わりは同時に始まりでもある。
千早城の籠城は新しい時代の幕開けへとつながり、あさま山荘の衝撃は日本社会の空気を変え、湾岸戦争は国際秩序の再編を象徴し、痛ましい事件は安全や少年法、報道のあり方を問い直す契機となった。

2月28日は、静かな日ではない。
しかし、歴史はいつも静かな日だけでは進まない。

私たちはこの日を祝うわけでも、恐れるわけでもない。
ただ、過去に起きた「終わり」の数々を思い出すことで、自分のいまを少しだけ真剣に見つめることができる。

何かが壊れる日。
何かが止まる日。
そして、次の時間が始まる日。

2月28日は、そんな重みを静かに抱えた一日である。