kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
慶祝と美とグノ-シスの弥増す日々
日々の過去の出来事

今日という日2月13日  1945ドレスデン爆撃ほか、写真wikipedia爆撃後の市街

2月13日

20260213金曜日旧暦12月2日(戊午つちのえうまボゴ)月齢 25.2

丙午ひのえうま年 庚寅かのえとら月 戊午つちのえうま日 年末まであと321日

吉方位 陽遁日 戊午つちのえうま日 北東 大吉

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2月13日の出来事
1219年 (承久1年1月27日) – 鎌倉幕府第3代将軍の源実朝が鶴岡八幡宮で甥の公暁により暗殺。公暁も即日殺害される。

1633年 – 異端審問のため出頭を命じられたガリレオ・ガリレイがローマに到着。

1692年 – スコットランドでグレンコーの虐殺事件。首謀者はジョン・ダルリンプル。人口400人程度の村で70人以上が焼殺。名誉革命側が王党派の村落を。

1862年(文久2年1月15日) – 坂下門外の変:皇女和宮の将軍徳川家茂への降嫁を実現させ、公武合体を推進した安藤信正が、尊王攘夷派の水戸浪士6名に江戸城坂下門外で襲われ負傷した。襲撃した浪士は全員その場で斬殺された。
1945年 – 第二次世界大戦: イギリス空軍・アメリカ空軍が無防備都市宣言していたドレスデンを空襲、2万人以上が犠牲に(ドレスデン爆撃)。

1868年(慶応4年1月20日) – 尾張藩で青松葉事件が起こり、5日間で14名の藩士が処刑される。
2023年 – 松本零士、漫画家(* 1938年)享年85歳

2025年 – 台湾の台中市にある新光三越百貨店で爆発事故が発生。4人が死亡、29人が重軽傷を負う。


1219年 (承久1年1月27日) – 鎌倉幕府第3代将軍の源実朝が鶴岡八幡宮で甥の公暁により暗殺。公暁も即日殺害される。
源 実朝(みなもと の さねとも、旧字体: 源 實朝󠄁)は、鎌倉時代前期の鎌倉幕府第3代征夷大将軍(鎌倉殿)
鎌倉幕府を開いた源頼朝の嫡出の次男[注釈 1]として生まれ、兄の頼家が追放されると12歳で征夷大将軍に就く。政治は初め執権を務める北条氏などが主に執ったが、成長するにつれ関与を深めた。
朝廷に重んじられ官位の昇進も早く、若くして公卿に補任され、武士として初めて右大臣(但し太政大臣には平清盛が任ぜられていた)に任ぜられた。しかし、その翌年に鶴岡八幡宮で頼家の子公暁に暗殺された。これにより鎌倉幕府の源氏将軍は断絶した。
歌人としても知られ、92首が勅撰和歌集に入集し、小倉百人一首にも選ばれている。家集として『金槐和歌集』がある。小倉百人一首では鎌倉右大臣とされている。
建保7年(1219年)1月27日、雪が2尺ほど積もる日に八幡宮拝賀を迎えた。夜になり神拝を終え退出の最中、「親の敵はかく討つぞ」と叫ぶ公暁に襲われ、実朝は落命した。享年28(満26歳没)。『愚管抄』によると次に公暁の一味の3~4人の法師が源仲章を斬り殺したが、これは北条義時と誤ったものだという。『吾妻鏡』によれば、義時は御所を発し八幡宮の楼門に至ると体調の不良を訴え、太刀持ちを仲章に譲り自邸に戻ったとある。一方で『愚管抄』によれば、義時は実朝の命により太刀を捧げて中門に留まっており、儀式の行われた本宮には同行しなかったとある[注釈 9]。実朝の首は持ち去られ、公暁は食事の間も手放さなかったという。同日、公暁は討手に誅された。
『吾妻鏡』によると、予見があったのか、出発の際に大江広元は涙を流し「成人後は未だ泣く事を知らず。しかるに今近くに在ると落涙禁じがたし。これ只事に非ず。御束帯の下に腹巻を着け給うべし」と述べたが、仲章は「大臣大将に昇る人に未だその例は有らず」と答え止めた。また整髪を行う者に、記念と称して髪を1本与えている。庭の梅を見て詠んだと伝わる辞世の和歌は、「出でいなば 主なき宿と 成ぬとも 軒端の梅よ 春をわするな」で「禁忌の和歌」と評される[注釈 10]。落命の場は八幡宮の石段とも石橋ともいわれ、また大銀杏に公暁が隠れていたとも伝わる[注釈 11]。『承久記』によると、一の太刀は笏に合わせたが、次の太刀で切られ、最期は「広元やある」と述べ落命したという。
公暁による暗殺については、実朝を除こうとした「黒幕」によって実朝が父(頼家)の敵であると吹き込まれたためだとする説がある。ただし、その黒幕の正体については北条義時[注釈 12]、三浦義村[注釈 13]、北条・三浦ら鎌倉御家人の共謀[注釈 14]、後鳥羽上皇[注釈 15]など諸説ある。またそれらの背後関係よりも、公暁個人が野心家で実朝の跡目としての将軍就任を狙ったところにこの事件の最も大きな要因を求める見解もあり、近年では黒幕説を否定して公暁単独犯行説を取る研究者が多い[注釈 16]。
28日、妻は落餝し、御家人百余名[注釈 17]が出家する。『吾妻鏡』によると亡骸は勝長寿院に葬られたが首は見つからず、代わりに記念に与えた髪を入棺したとあるが、『愚管抄』には首は岡山の雪の中から見つかったとある。実朝には子がなく、幕府は実朝の後継として摂関家の三寅(九条頼経)を迎えたため、源氏将軍および初代源頼信から続く武家の棟梁を継ぐ河内源氏嫡流の血筋は断絶した。

1633年 – 異端審問のため出頭を命じられたガリレオ・ガリレイがローマに到着。

1692年 – スコットランドでグレンコーの虐殺事件。首謀者はジョン・ダルリンプル。人口400人程度の村で70人以上が焼殺。名誉革命側が 王党派を。

グレンコーの虐殺(ぐれんこーのぎゃくさつ、The Massacre of Glencoe)は1692年、イングランド政府内強硬派およびスコットランド内の親英勢力の手によって、グレンコー村(スコットランド)で起きた虐殺事件である。規模は歴史上の虐殺事件に比して小さいものであったが、罪なき村民が背信行為によって殺された手法と経緯に、国内外から批判が集まった。これによって名誉革命体制は打撃を受け、イングランド・スコットランド関係が険悪になる原因を作った。グレンコーはスコットランド・ハイランド南西部の谷である。

虐殺

2月13日早朝、皆が起きる前に命令が部下たちに公表され、実行に移った。家々に火をかけ、族長以下38名を刃にかけ、子供を含む40人が焼死した。しかし村の人口は400人以上で、相当数が脱走したと考えられている。命令のむごさに兵士たちが躊躇したのではないかとも指摘され、また不服従の証として剣を自ら折った兵士もいたといわれるが、いずれにせよ命令書のいうような殲滅は達成されなかった。脱走した者の中からも凍死者・餓死者が出たが、生き残った者から事件の顛末が口づてに広まることとなった。

1862年(文久2年1月15日) – 坂下門外の変:皇女和宮の将軍徳川家茂への降嫁を実現させ、公武合体を推進した安藤信正が、尊王攘夷派の水戸浪士6名に江戸城坂下門外で襲われ負傷した。襲撃した浪士は全員その場で斬殺された。

1868年(慶応4年1月20日) – 尾張藩で青松葉事件が起こり、5日間で14名の藩士が処刑される。

青松葉事件(あおまつばじけん)は、慶応4年(1868年)1月20日から25日にかけて、尾張藩14代藩主徳川慶勝が、藩内において「佐幕派」とされた家臣を粛清した事件である。

それまで京都で大政奉還後の政治的処理を行っていた慶勝が「姦徒誅戮」の勅命を受けて帰国した直後に処罰が実行された。対象者は重臣から一般藩士にまで及び、斬首14名、処罰20名にのぼった。勅命が下った背景については諸説ある。
1945年 – 第二次世界大戦: イギリス空軍・アメリカ空軍が無防備都市宣言していたドレスデンを空襲、2万人以上が犠牲に(ドレスデン爆撃)。
ドレスデン爆撃(ドレスデンばくげき、英: Bombing of Dresden、独: Luftangriffe auf Dresden)は、第二次世界大戦終盤の1945年2月13日から15日にかけて連合国軍(イギリス空軍およびアメリカ陸軍航空軍)によって行われたドイツ東部の都市、ドレスデンへの無差別爆撃。4度におよぶ空襲にのべ1300機の重爆撃機が参加し、合計3900トンの爆弾が投下された。この爆撃によりドレスデンの街の85%が破壊され、市の調査結果によれば死者数は25,000人だとされる[1]。一説には、10万人以上、13万5千人から20万人の死傷者ないし死者が出たとも言われる。
2023年 – 松本零士、漫画家(* 1938年)享年85歳
松本 零士(まつもと れいじ、Leiji Matsumoto、男性、1938年〈昭和13年〉1月25日 – 2023年〈令和5年〉2月13日[1])は、日本の漫画家。本名:松本 晟(まつもと あきら)[2]。代表作に『男おいどん』『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』など。
福岡県久留米市生まれ[3]。血液型はB型。宝塚大学特任教授、京都産業大学客員教授、デジタルハリウッド大学特任教授を歴任。正六位、旭日小綬章、紫綬褒章、フランス芸術文化勲章シュバリエ受章。称号は練馬区名誉区民。
妻は同じく漫画家の牧美也子。早稲田大学大学院名誉教授で元三菱重工業長崎研究所主管の松本將は実弟。
一般的にSF漫画作家として知られるが、少女漫画、戦争もの、動物ものなど様々なジャンルの漫画を描いている。アニメ製作にも積極的に関わり、1970年代半ばから1980年代にかけては『宇宙戦艦ヤマト』や『銀河鉄道999』が映画化されて大ヒットするなど、松本アニメブームを巻き起こした[3]。
その後は、母親の実家がある愛媛県喜多郡新谷村(現在の大洲市新谷町)に疎開していた[8][10](両親共に大洲市の出身である[11])。このときアメリカ軍の戦闘機や、松山市へ空襲に向かうB-29などの軍用機を多数目撃、この体験が後の作品に影響を与えたという[8]。当時10人家族で、バラックのような長屋で貧乏暮らしをしながら、本人は6歳頃から絵を描くのが好きになり、自宅で漫画を描いていた[3]。
終戦後、小学校三年から福岡県小倉市(現・北九州市)に移る[9]。小倉市立米町小学校(現・北九州市立小倉中央小学校)のときから漫画少年で、高井研一郎らと同人グループ「九州漫画研究会」を結成し、同人誌「九州漫画展」を主宰。 松本が漫画家を志した理由は彼が小学二・三年の頃にあった学級文庫である。それは手塚治虫の漫画『新宝島』『キングコング』『火星博士』『月世界紳士』であった。[12] 小倉市立菊陵中学校(現・北九州市立菊陵中学校)に進学。
死去
2023年(令和5年)2月13日、急性心不全のため東京都内の病院で死去したことが、同月20日に東映により発表された[1][21]。85歳没。6月2日、生前の功績が評価され、日本国政府から松本に対し死没日付をもって正六位に叙されたことが零時社より発表された[22]。同年6月3日に東京国際フォーラムでお別れの会が開かれた[23][24]。7月10日発売のビッグコミック2023年第14号の表紙に追悼の言葉とともに松本の肖像イラストが掲載された。
大戦後半、父親は第32教育飛行隊(1944年2月編成)の隊長として、特別操縦見習士官や少年飛行兵出身の新参パイロットの教育を行っていたが、課程を終え実戦部隊に転出した部下には後に特別攻撃隊の隊員として出撃していった者も少なくなかった。末期には二式複座戦闘機「屠龍」[25] に搭乗し、終戦の日まで連合軍と戦っていた。戦後、多くの元軍人パイロットが自衛隊入りしたのに対し、「敵の戦闘機には乗れない」と断固拒否。実家がある大平村での炭焼きや、小倉で野菜の行商をしながら線路脇のバラックに住み、その境遇を自ら進んで赤貧へと落としたが、家族で父に反対する者はおらず零士少年も「俺の父親は最高だ、父親と一緒にいられれば俺は満足」と行商の大八車を押したという。この「本当のサムライとしての父のイメージ」は、後にハーロックや沖田十三のモデルとして、松本の作品に生かされていった。また松本自身、進駐軍兵士がばら撒くキャンディーなどを「食べたくて仕方なかったが全部下駄で踏みつけて潰した」という。
母親は元教師で、子供の宿題に適切な添削までしてくれたという。これについて、子供のころは、大人だからできるのだと思っていたが、後から考えるとなかなかできないことだったと気づいたという。恵まれた家庭に育ち、高等女学校まで出ている母が夫の意地のために、周囲の嘲笑に歯を食いしばって耐えながら働いている姿を見て育った。松本は物心ついた頃から「母を苦労から救いたい。自分が大黒柱になって一家を養う」と心に決めたという。高校時代に漫画家デビューが叶ったこともあり、自身は大学進学の夢を封印して働き、代わりに兄弟には大学進学を考えた時に躊躇わずにすむ経済環境を整えようと決意した[26]。

2025年 – 台湾の台中市にある新光三越百貨店で爆発事故が発生。4人が死亡、29人が重軽傷を負う。

チャットgpt先生の2月13日のエッセイ


2月13日という、雪と火の記憶

2月13日は、静かな冬の顔をしながら、歴史の深部では何度も血と火を見てきた日だ。

1219年、雪の積もる鎌倉・鶴岡八幡宮。
将軍・源実朝は、武家政権の頂点にいながら、政治よりも和歌を愛した稀有な存在だった。
その実朝が、甥・公暁の刃に倒れる。
「親の敵はかく討つぞ」という叫びは、私怨なのか、時代の怨嗟なのか、今も答えは定まらない。
雪、石段、大銀杏――どの情景をとっても、日本史のなかであまりにも象徴的で、この日が「断絶の日」であったことを物語っている。源氏将軍の血はここで途絶え、以後の鎌倉幕府は、名と実のねじれを抱えたまま進んでいく。

2月13日は、権力の終わりが可視化される日でもある。

1692年のスコットランド、グレンコー。
客として迎え入れた兵士たちが、夜明け前に刃を向ける。
この虐殺が強く非難されたのは、犠牲者の数だけではない。
「信義」が踏みにじられたからだ。
暖炉の火が消え、家々が燃え、谷に逃げた人々は凍え死ぬ。
国家や革命という大義の裏で、最も弱い者が切り捨てられる構図は、ここでも変わらない。

近代に入っても、2月13日は人類に優しくならない。

1945年、ドレスデン。
文化都市、無防備都市とされていた街が、夜空から降る火に包まれる。
爆撃の目的が何であったのか、戦略か、見せしめか、あるいは惰性か――
今も議論は続くが、瓦礫の下で命を落とした人々にとって理由は意味をなさない。
街の85%が破壊され、2万5千人が死んだという数字は、もはや「数」ではなく、沈黙の塊だ。

日本でも、2月13日は粛清と暴力の記憶を刻む。
坂下門外の変、青松葉事件。
どちらも「正義」の名のもとに刃が振るわれ、後になって評価が揺れ動く。
歴史はいつも、即断を迫られた人間たちの痕跡でできている。

そんな2月13日に、松本零士が亡くなったことは、偶然以上の象徴を感じさせる。
戦争の記憶を背負い、空と宇宙を描き続けた漫画家。
彼の作品には、爆撃や特攻の影が常にありながら、それでも人は星を目指すという意思があった。
この日が奪ってきた無数の命に対し、彼は物語という形で「抵抗」していたのかもしれない。

2月13日は、祝日ではない。
花火も、晴れやかな物語も用意されていない。
だが、だからこそ、この日は問いかけてくる。

――権力は、正義は、進歩は、本当に人を救ってきたのか。
――同じ日付に積み重なる悲劇を、私たちは「過去」と呼んで切り離していいのか。

冬はまだ終わらない。
けれど、雪の中で詠まれた実朝の歌のように、
焼け落ちた街の上にも、いつか春は来る。

2月13日は、希望の日ではない。
だが、希望を忘れなかった人々を思い出すための日なのだ。