kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
慶祝と美とグノ-シスの弥増す日々
日々の過去の出来事

今日という日12月7日  1867天満屋事件、ほか写真wikipedia襲撃の跡地

12月7日

20251207日曜日旧暦10月18日先負(庚戌かのえいぬコウジュツ)月齢 16.8

乙巳きのとみ年 丁亥ひのとい月 庚戌かのえいぬ日 年末まであと24日

吉方位 隠遁日 庚戌かのえいぬ日

https://ja.wikipedia.org/wiki/12%E6%9C%887%E6%97%A5

12月7日の出来事

紀元前43年 – キケロが暗殺される。

死没        紀元前43年12月7日(満63歳没)

フォルミア

職業        政治家、弁護士、哲学者他

言語        古典ラテン語

国籍        共和政ローマ

市民権    ローマ市民権

代表作    『国家について』『法律について』『義務について』他
1867年 – 天満屋事件。坂本龍馬暗殺後の混乱。海援隊陸援隊有志と新選組の衝突。陸奥陽之助及び中井庄五郎らが三浦休太郎を暗殺するために討ち入り。襲撃側は中井庄五郎が死亡、2、3名が負傷した。一方の新選組は宮川信吉と舟津釜太郎が死亡、重傷1名、負傷者3名を出し、紀州藩では三浦が傷を負い、三宅精一、関甚之助も軽傷を負った。

1961年 – 東京湾の10号埋立地(現有明)沖合で、波浪により釣り船が10隻が遭難。11人が死亡[3]。

1988年 – アルメニア地震発生。

死傷者数                 死者約25,000人  負傷者約19,000人

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紀元前43年 – キケロが暗殺される。

死没        紀元前43年12月7日(満63歳没)

フォルミア

職業        政治家、弁護士、哲学者他

言語        古典ラテン語

国籍        共和政ローマ

市民権    ローマ市民権

代表作    『国家について』『法律について』『義務について』他
1867年 – 天満屋事件。坂本龍馬暗殺後の混乱。海援隊陸援隊有志と新選組の衝突。陸奥陽之助及び中井庄五郎らが三浦休太郎を暗殺するために討ち入り。襲撃側は中井庄五郎が死亡、2、3名が負傷した。一方の新選組は宮川信吉と舟津釜太郎が死亡、重傷1名、負傷者3名を出し、紀州藩では三浦が傷を負い、三宅精一、関甚之助も軽傷を負った。

1961年 – 東京湾の10号埋立地(現有明)沖合で、波浪により釣り船が10隻が遭難。11人が死亡[3]。

1988年 – アルメニア地震発生。

死傷者数                 死者約25,000人  負傷者約19,000人

紀元前43年 – キケロが暗殺される。

死没        紀元前43年12月7日(満63歳没)

フォルミア

職業        政治家、弁護士、哲学者他

言語        古典ラテン語

国籍        共和政ローマ

市民権    ローマ市民権

代表作    『国家について』『法律について』『義務について』他
マルクス・トゥッリウス・キケロ(ラテン語: Marcus Tullius Cicero, 紀元前106年1月3日[1] – 紀元前43年12月7日[2])は、共和政ローマ末期の政治家、弁護士[3]、文筆家、哲学者である。名前はキケローとも表記される。英語読みではシセロ。カティリーナの陰謀から国家を救うなど活躍し、入ることを熱望していたオプティマテス寄りの論陣を張って、ガイウス・ユリウス・カエサルやオクタウィアヌスらを食い止めようと試みたが叶わなかった。

哲学者としてはラテン語でギリシア哲学を紹介し、プラトンの教えに従う懐疑主義的な新アカデメイア学派から出発しつつ、アリストテレスの教えに従う古アカデメイア学派の弁論術、修辞学を評価して自身が最も真実に近いと考える論証や学説を述べ、その著作『義務について』はラテン語の教科書として採用され広まり、ルネサンス期にはペトラルカに称賛され、エラスムス、モンテスキュー、カントなどに多大な影響を与えた。また、アリストテレスのトピックスに関して『構想論』『弁論家について』『トピカ』の三書を著し、後のボエティウスによるその概念の確立に大きく貢献している。

1867年 – 天満屋事件。坂本龍馬暗殺後の混乱。海援隊陸援隊有志と新選組の衝突。陸奥陽之助及び中井庄五郎らが三浦休太郎を暗殺するために討ち入り。襲撃側は中井庄五郎が死亡、2、3名が負傷した。一方の新選組は宮川信吉と舟津釜太郎が死亡、重傷1名、負傷者3名を出し、紀州藩では三浦が傷を負い、三宅精一、関甚之助も軽傷を負った。

経緯
陸奥宗光は、当時有力な佐幕論者であった紀州藩士三浦休太郎が大垣藩士井田五蔵らと共謀して京都にて不穏な動きをしていること、また坂本龍馬、中岡慎太郎の暗殺(近江屋事件)の黒幕が、いろは丸沈没事件の際に多額の弁償金を龍馬に支払わされた恨みを持つ紀州藩であるとの話を聞き、紀州藩公用人であった三浦休太郎を討つことを海援隊士・陸援隊士らと計画する。危険を感じた紀州藩は、会津藩を通して新選組に三浦の警護を依頼した。天満屋で三浦休太郎の護衛に新選組の斎藤一、大石鍬次郎ら7名がついた。

慶応3年12月7日(1868年1月1日)、十津川郷士・中井庄五郎や、沢村惣之丞、陸奥宗光、岩村精一郎、大江卓ら海援隊・陸援隊士総勢16名(15名とも)が、三浦休太郎、新選組隊士らが天満屋2階にて酒宴を行っていたところを襲った。出会い頭に中井庄五郎が「三浦氏は其許か」というなり斬りつけ、三浦休太郎は頬・頤を負傷する。その後、両勢は入り乱れるが、燈火を消し、暗闇での戦闘となる。斎藤一は後から斬りかかられ命を落としそうになったが、梅戸勝之進(平隊士)が斎藤を守った。変を聞きつけた新選組、紀州藩が援助に向かったものの、着いた頃には陸奥らは素早くその場を引き揚げていた。

この事件で、襲撃側は中井庄五郎が死亡、2、3名が負傷した。一方の新選組は宮川信吉と舟津釜太郎が死亡、重傷1名、負傷者3名を出し、紀州藩では三浦が傷を負い、三宅精一、関甚之助も軽傷を負った。(また『南紀徳川史』に佐波某、三浦の若党藤左衛門及び若輩の仲間某は楼下に在りしが、槍傷を受け三人共に落命とあり)。また、飫肥藩士で小倉処平の兄である長倉訒が事件現場に居合わせていた。

京都市下京区油小路正面の跡地には石碑が建てられている。

1961年 – 東京湾の10号埋立地(現有明)沖合で、波浪により釣り船が10隻が遭難。11人が死亡[3]。

1988年 – アルメニア地震発生。

死傷者数                 死者約25,000人  負傷者約19,000人

概要

この地震による死者は少なくとも約2万5000人、負傷者は約1万9000人に上る[2]。 震央に近いレニカナンやスピタクなどにあるフルシチョフカやブレジネフカなどの高層建築物はほとんど倒壊し、40万人を超える人が家を失った。特に顕著な被害が出たレニナカン(現・ギュムリ)では、約1万5000人-1万7000人が死亡し街も壊滅した。また、スピタクでも大きな被害が生じ、約4000人が死亡した[3]。

チャットgpt先生の12月7日のエッセイ


12月7日という日 ― 静かな影と、人の意志

12月7日。
年末まで残すところあと24日。月齢16.8、ふくらんだ月はゆっくりと欠けに向かい、旧暦では10月18日。暦の上では「先負」、急ぐな、午前は控えめに、と語りかけてくる日でもある。
静かに息を整えるにはほどよい気配をまといながら、この日は歴史の上では不思議と「影」が濃く落ちている。


■ 古代ローマ、言葉と政治の人が倒れた日

紀元前43年のこの日、マルクス・トゥッリウス・キケロが、逃亡の末に暗殺された。
プラトンとアリストテレスの思想をラテン語に移し替え、未熟なローマに“哲学”の根を下ろした人物。その言葉は後世のヨーロッパ思想にまで影響した。

彼は剣より言葉を、暴力より議論を信じた。
だが、言葉を武器にする人間は、往々にして暴力の前に倒れる。ローマをむしばむ争いに抗ったが、歴史は彼を呑み込んだ。

彼の最期を思うとき、12月7日は「言葉の力」と「言葉の無力」が交差する日であるように感じられる。


■ 幕末の混迷、京都・天満屋に飛び散る刃

1867年の同日、京都で天満屋事件が起きた。
坂本龍馬暗殺の怒りと疑念が渦巻く中、海援隊・陸援隊の志士たちが、黒幕と目された紀州藩の三浦休太郎を討とうとした襲撃劇。
新選組の隊士たちが護衛に立ち、暗闇の中の乱闘はわずかな時間で多くの血を流した。

年が改まり、慶応3年12月7日は西暦1868年1月1日にあたる。
世の中は激動の夜明けを迎える直前だった。
何かが終わり、何かが始まろうとするとき、歴史の布が強く引き裂かれる瞬間がある。その裂け目に落ちた名もなき人々の命もまた、12月7日の記憶の一部だ。


■ 近代の災禍、海と地の震え

1961年、東京湾で釣り船10隻が遭難し、11人が海に消えた。
1988年にはアルメニア地震が発生し、2万数千人の命が失われ、街が壊滅した。
自然は時に、暦も節目も関係なく訪れる。

この二つの出来事は、12月7日が政治や思想のぶつかり合いではなく――
ただ「日常を生きていた人々」の命を突然奪った日でもあることを思い出させる。


■ 冬の深まり、影の上を歩く

こうして振り返ると、12月7日は人の営みの中で、争い、誤解、悲劇が濃く刻まれた日であるように見える。
それでも、この日に暮らした誰もが悲しみに沈んでいたわけではないだろう。
人は影を踏みながら、同じように光の方へ歩く。

今日という日もまた、私たちそれぞれの「小さな歴史」の一部になる。
過去の影を知るからこそ、未来に灯す光の意味がある。
キケロの言葉、幕末の志士の意地、海や大地の前で立ち尽くした人々の無念――
それらの記憶の上に、どんな一日を積み重ねるかは、いまを生きる私たちの選択だ。

冬空の下、年末まであと24日。
深まる静けさに耳を澄ませながら、今日をていねいに歩きたい。