kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
慶祝と美とグノ-シスの弥増す日々
日々の過去の出来事

今日という日12月28日 1908メッシーナ地震発生ほか、写真wikipedia震災の惨状

12月28日

20251228日曜日旧暦11月9日先勝(辛未かのとひつじシンビ)月齢 8

乙巳きのとみ年 戊子つちのえね月 辛未かのとひつじ日 年末まであと3日

吉方位 隠遁日 辛未かのとひつじ日

https://ja.wikipedia.org/wiki/12%E6%9C%8828%E6%97%A5

 12月28日の出来事
1890年 – ウンデット・ニーの虐殺 スー族インディアンのバンドに対して、米軍の第7騎兵連隊が行った民族浄化。白人側とアメリカ原住民側とで主張が違う。白人側は多くても200人(十分多い)、原住民側は500人以上とする。
1908年 – メッシーナ地震。地震と津波で死者推定8万2000人。近代ヨーロッパ史で最悪の地震とされる。一説には被害10万人とも。
1986年 – 余部鉄橋列車転落事故: 鉄橋を通過中の香住発浜坂行きの下り回送列車が、日本海からの突風を受けて転落し、直下の水産加工場などを直撃。車掌と水産加工場の従業員5人の計6人が死亡。従業員と水産加工場の従業員計6人が重傷を負った[5]。
1989年 – ニューカッスル地震: マグニチュード5.6の地震が発生し、死者13人、160人以上の負傷者が発生[6]。
1994年 – 三陸はるか沖地震: 三陸はるか沖を震源とするマグニチュード7.5の地震が発生。青森県を中心に、3人が死亡、788人が負傷、家屋損壊は9,522棟。また、約76,000軒で停電、42,000軒で断水被害[7]。

☆幼子殉教者の記念日 (Childmas, Innocents’ Day)(カトリック教会)

イエス・キリスト誕生の3日後、ヘロデ王はベツレヘム周辺の2歳以下の男の子を全て殺害するように命令した。キリストの身代わりとして罪なく殺された幼な子のためにミサが行われる。

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1890年 – ウンデット・ニーの虐殺 スー族インディアンのバンドに対して、米軍の第7騎兵連隊が行った民族浄化。白人側とアメリカ原住民側とで主張が違う。白人側は多くても200人(十分多い)、原住民側は500人以上とする。

ウーンデッド・ニーの虐殺(ウンデット・ニーのぎゃくさつ、英:Wounded Knee Massacre)は、1890年12月29日、アメリカ合衆国サウスダコタ州ウーンデッド・ニーで、ミネコンジュー族ほかのスー族インディアンのバンド(一団、一行)に対して、米軍の第7騎兵隊が行った民族浄化。

この虐殺を合衆国政府側は「ウーンデッド・ニーの戦い」(~のたたかい)と呼び、虐殺を実行した第7騎兵隊には名誉勲章が授与されている。しかし、インディアン(先住民)側ではこれを「ビッグ・フット一行に対する虐殺」と呼んでいる。

1908年 – メッシーナ地震。地震と津波で死者推定8万2000人。近代ヨーロッパ史で最悪の地震とされる。一説には被害10万人とも。

メッシーナ地震[3](伊: Terremoto di Messina del 1908; 英: 1908 Messina earthquake)[注釈 1]は、1908年12月28日にイタリア南部のシチリア島からカラブリアにかけて発生した地震。モーメントマグニチュード(Mw)7.1の地震とそれに伴って生じた津波により、震源域となったメッシーナ海峡に面した大都市メッシーナとレッジョ・ディ・カラブリアは壊滅的な被害を受けた。犠牲者の数には諸説あり、8万2000人とも、10万人以上とも推定されている。近代ヨーロッパにおいて最悪の犠牲者を出した地震である。

1986年 – 余部鉄橋列車転落事故: 鉄橋を通過中の香住発浜坂行きの下り回送列車が、日本海からの突風を受けて転落し、直下の水産加工場などを直撃。車掌と水産加工場の従業員5人の計6人が死亡。従業員と水産加工場の従業員計6人が重傷を負った[5]。
1989年 – ニューカッスル地震: マグニチュード5.6の地震が発生し、死者13人、160人以上の負傷者が発生[6]。
1994年 – 三陸はるか沖地震: 三陸はるか沖を震源とするマグニチュード7.5の地震が発生。青森県を中心に、3人が死亡、788人が負傷、家屋損壊は9,522棟。また、約76,000軒で停電、42,000軒で断水被害[7]。

☆幼子殉教者の記念日 (Childmas, Innocents’ Day)(カトリック教会)
イエス・キリスト誕生の3日後、ヘロデ王はベツレヘム周辺の2歳以下の男の子を全て殺害するように命令した。キリストの身代わりとして罪なく殺された幼な子のためにミサが行われる。

チャットgpt先生の12月28日のエッセイ

12月28日――年の終わりに、静かに思いを向ける日

12月28日。年末まであと三日という、時間が急に足早になる頃だ。暦の上では旧暦十一月九日、月齢八。夜空の月はまだ満ちきらず、どこか含みを残した光を放つ。先勝、そして「隠遁日」。表に出て事を成すよりも、内側へと意識を向け、過ぎ去ったものを見つめ直すのにふさわしい一日である。

この日を振り返ると、歴史は静けさとは対照的な出来事で満ちている。1890年のウンデット・ニーの虐殺。武装解除されつつあったスー族の人々に対して行われた暴力は、「戦い」という名で覆い隠され、実行者に勲章さえ授けられた。一方で、犠牲となった側はこれを「ビッグ・フット一行に対する虐殺」と呼ぶ。呼び名の違いは、そのまま記憶の非対称性を示している。誰が語り、誰が沈黙を強いられるのか。歴史はいつも、その問いを私たちに突きつける。

1908年のメッシーナ地震もまた、12月28日を深い影で覆う。地震と津波によって、近代ヨーロッパ史上最悪ともいわれる数の命が失われた。都市は一瞬で瓦礫と化し、人々の日常は唐突に断ち切られた。1986年の余部鉄橋列車転落事故、1989年のニューカッスル地震、1994年の三陸はるか沖地震――時代も国も異なるが、自然や突発的な力の前で人間がいかに脆い存在であるかを、これらの出来事は繰り返し教えている。

そしてこの日は、カトリック教会における「幼子殉教者の記念日」でもある。イエス誕生後、王の恐れによって命を奪われた罪なき幼子たちを悼む日だ。ここにあるのもまた、力を持つ者の不安が、最も弱い存在に向けられた悲劇の物語である。歴史的事実であれ、信仰の物語であれ、「守られるべき存在が守られなかった」という痛みは共通している。

こうして並べてみると、12月28日は「忘れてはならない日」だと言える。華やかな年末行事の影で、静かに手を合わせるべき記憶が確かに存在する。月が満ちきらないように、私たちの理解や反省もまた未完成だ。それでも、思い出し、語り直し、悼むことでしか、次の年へ持っていけないものがある。

年の終わりに近いこの日、外へ向かう足を少し止め、内側へと目を向けたい。歴史の中で失われた無数の声に、ほんのひととき耳を澄ませること。それは、新しい年を迎えるための、最も静かで、最も誠実な準備なのかもしれない。