kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
慶祝と美とグノ-シスの弥増す日々
日々の過去の出来事

今日という日12月24日 1865KKK設立される、ほか、写真wikipediaワシントン行進する最盛期の団体1928

12月24日
20241224火曜日旧暦11月24日仏滅(壬戌みずのえいぬジンジュツ)月齢 22.8
甲辰きのえたつ年丙子ひのえね月壬戌みずのえいぬ日 年末まであと7日
吉方位
https://ja.wikipedia.org/wiki/12%E6%9C%8824%E6%97%A5
12月24日の出来事
1865年 – 南部連合の退役軍人らがクー・クラックス・クラン (KKK) を設立。
1878年 – 大背美流れ 大背美流れ(おおせみながれ)[1][2][3]または背美流れ(せみながれ)[5]は、1878年(明治11年)に和歌山県東牟婁郡太地(現・太地町)沖で起きた捕鯨船の海難事故。不漁続きで悪天候の中、沖合まで出漁した捕鯨船団が壊滅し、100人以上の漁師が行方不明となった。日本の捕鯨史上最大の惨事とされる[2]。死亡者 8名[4]
行方不明者 107名[4]

1949年 – 聞慶虐殺事件: 韓国の慶尚北道聞慶市で、韓国陸軍第3歩兵師団第25歩兵連隊の第7中隊第3大隊第2および第3小隊によって、非武装の民間人が88名が虐殺される。

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1865年 – 南部連合の退役軍人らがクー・クラックス・クラン (KKK) を設立。

概説
「白人至上主義団体」とされるが、正確には「北方人種至上主義」(ノルディック・イデオロギー)で、主に黒人、アジア人、ヒスパニック、ユダヤ人などの他の人種の市民権に対し異を唱え、同様にカトリックや、同性愛者の権利運動、フェミニズムなどに対しても反対の立場を取っている。

マニフェスト・デスティニーを掲げ、プロテスタントのアングロ・サクソン人(WASP)などの北方系の白人のみがアダムの子孫であり、唯一、魂を持つ、神による選ばれし民として、他の人種から優先され隔離されるべきである、と主張する選民思想団体。

名前の由来はギリシャ語の「kuklos(円環、集まりの意)」の転訛と英語の「clan(氏族、一族)」を変形させたものと言われる。別の説として、ライフル銃の操作音を字体化したという説もある。

戦争を経て5000人規模の組織となった第2のKKKは、アメリカ南部のノスタルジア、愛国心、騎士道、倫理観を守ることに焦点を当てた[3]。 第2のKKKは「黒人を躾ける」とした以前のKKK以上に強硬的な過激派として活動し、その思想も従来の黒人差別のみならず有色人種全体の排撃を主張した。人種主義に加えて民族主義や宗教色も強まり、セム人種ユダヤ系やムスリムも攻撃の対象としたKKKは白人貧困層の絶大な支持を集め、幾つかの州では少なからぬ政治的影響力を持つに至った。他にカトリック教徒や共産主義者も攻撃対象とされた。1923年にはオクラホマ州だけで2,500件以上の暴行事件を起しており、放火や殺人が日常的に行われた。暴力行為も凄惨の限りを尽くし、両手を攻撃、縄で縛って列車に轢かせる、焼印を押すなど残虐さを極めた。

1878年 – 大背美流れ 大背美流れ(おおせみながれ)[1][2][3]または背美流れ(せみながれ)[5]は、1878年(明治11年)に和歌山県東牟婁郡太地(現・太地町)沖で起きた捕鯨船の海難事故。不漁続きで悪天候の中、沖合まで出漁した捕鯨船団が壊滅し、100人以上の漁師が行方不明となった。日本の捕鯨史上最大の惨事とされる[2]。死亡者 8名[4]
行方不明者 107名[4]

事故発生
1878年(明治11年)は特に不漁の年で、太地の村々では年末になっても年を越す支度金も無いほどの困窮に瀕していた[2][3]。12月24日、雨天の中勢子舟が沖合で親子連れのセミクジラを発見した[4][注釈 2]。雨天しかも夕刻という悪条件[3]、さらに敬遠してきたセミクジラの親子連れだったため、燈明崎にあった山見の責任者である山旦那の和田金右衛門頼芳は、今回の鯨は見逃すと判断した[3]。しかし金右衛門の従弟で鯨組の責任者だった和田覚右衛門は、今回の鯨は天の恵みであり、危険を冒しても鯨組の経営を楽にすべきと主張した[6]。覚右衛門のほかにも、明るい正月を迎えたいという村民の願いは強く、全村挙げての鯨漁が始まった[7]。

悪天候の中、漂流する捕鯨船団の姿は山見からも見えなくなった。
横殴りの暴風雨に[6]潮の流れが強いため網は1度目は切れ、2度目は外れてしまい[4]、セミクジラは沖に逃れた[7]。船団も鯨を追って沖合に向かい、船団のかがり火は地上からも見えなくなった。船団は夜を徹して鯨を追い、ついに翌12月25日の朝10時に捕獲した[4]。ところが、船団は地上から離れすぎたため太地に戻るのに時間がかかった上、西風が強くなり荒天となった。夕刻になり1隻が水と米を補給するために太地に戻ってきたが、日没も近づいたため、船団は止む無く捕らえた鯨を切り離した。しかし日没後に西風が強くなり、船団はなおも漂流した[4][6]。

さらに翌日の12月26日には、船団が地上から見えなくなったため、太地では妙法山[注釈 3]などに村人を派遣するなど大騒ぎになった。漂流する船団は陸地を見失い、12月27日には綱で船を繋いだが、散らばった船は1隻が沈没し3隻が漂着し全壊したほかは行方不明となり[4]、船団の船全てが失われた[7]。

船を失い漂流した生還者は、マグロ漁船などに救助された[4]。伊豆諸島の神津島に漂着した[7]3名は、3ヶ月以上経った1879年(明治12年)3月18日に太地に戻ることができた。しかし最終的に生還できたのは80名で、8名が死亡し、107名以上が行方不明となった[4]。死者・行方不明者の中には、手伝いの老人や子供も含まれる[6]。

1949年 – 聞慶虐殺事件: 韓国の慶尚北道聞慶市で、韓国陸軍第3歩兵師団第25歩兵連隊の第7中隊第3大隊第2および第3小隊によって、非武装の民間人が88名が虐殺される。

聞慶虐殺事件(ムンギョンぎゃくさつじけん/ぶんけいぎゃくさつじけん)とは、1949年12月24日に大韓民国慶尚北道聞慶郡(現:聞慶市)で韓国軍が共匪に協力したなどとして非武装の住民88人を虐殺し、共匪の犯行としていた事件[1][2][3][4][5][6]。

概要
1949年12月24日に大韓民国慶尚北道聞慶郡山北面(ko)で、共産匪賊に協力したなどとして、韓国陸軍第2師団第25連隊の第7中隊第2小隊第3小隊が非武装の女性、子供、老人の88人を射殺した[2][1][4]。虐殺事件は長らく共産匪賊による蛮行とされてきたが、2005年に成立した真実和解のための過去史整理基本法によって設立された真実・和解のための過去史整理委員会によって2007年6月26日に韓国政府の犯行であったことが明らかにされた[4][5]。

チャットgpt先生の12月24日のエッセイ

12月24日: 年末の光と影

12月24日はクリスマス・イブとして多くの国で祝われ、きらびやかな街の灯りと心温まる物語が描かれる日です。しかし、歴史の鏡を覗けば、この日が必ずしも華やかで祝福に満ちた一日ではなかったことが見えてきます。そんな歴史の「影」を見つめると同時に、その背後にある人間の営みの「光」を探るのも、年末という節目ならではの深い学びではないでしょうか。


白い布の下に潜む影

1865年、アメリカ南部でクー・クラックス・クラン(KKK)が設立されました。彼らは「正義」と「純粋さ」を主張しながら、実際には人種差別や排外主義を掲げて暴力を正当化してきました。KKKの名は、ギリシャ語の「円環」から派生したと言われますが、その「円環」は決して調和の象徴ではありませんでした。

その後、アメリカ社会の中でKKKは貧困層や不満を抱える白人に支持され、暴力と恐怖を振りまきました。このような団体が生まれた背景には、南北戦争後の混乱や社会的分断がありました。彼らの行動がいかに破壊的であったとしても、その発端には「恐怖」や「失われた誇り」を埋めようとする人間の弱さが見え隠れします。


荒海で消えた命

1878年のこの日、和歌山県太地沖では「大背美流れ」と呼ばれる捕鯨船の大事故が起きました。不漁と貧困にあえぐ漁村の人々は、危険を承知で荒海へ船を出しました。結果として、嵐の中で多くの船が壊滅し、100名以上の漁師が行方不明となる日本捕鯨史上最大の惨事となりました。

この物語は、人々の「生きたい」という切実な願いと、それがもたらした悲劇を映し出しています。海に出た漁師たちの決断には、生計を立てたい一心や、家族への思いがあったのでしょう。自然の猛威と人間の努力、その狭間で起きたこの事故は、私たちに自然と共生する難しさを語りかけます。


見えない敵に引き裂かれる命

1949年の韓国では、聞慶虐殺事件という悲劇が起きました。88名もの非武装の住民が、共産主義者への協力を疑われて韓国軍により命を奪われたのです。戦後の冷戦構造が生んだこの事件は、人間の偏見や恐れがどれほど容易に暴力へと変わるのかを示しています。長らく真相が隠されてきたこの事件が明らかにされたのは、事件から半世紀以上を経てからでした。

歴史の中で繰り返されるこのような悲劇は、私たちが真実を追い求め、和解を目指す努力を怠らないことの重要性を訴えています。


光と影を超えて

12月24日は、数々の悲劇が起きた日として記憶されるべき一方で、私たちがその歴史に学び、未来へどう生かすかを問いかける日でもあります。悲しみや怒りだけに留まらず、その背後にある人間の希望や愛を見出すことで、過去を現在の力に変えることができるはずです。

年末まであと7日。この1年を振り返りながら、私たちは何を学び、何を次の年に持ち越すべきかを考える時期です。過ぎ去った日々の影を直視しつつ、その中に見える光を掬い上げることで、未来に向かう道を照らしていきたいものです。

クリスマスの夜、キャンドルの光のように、歴史の「光と影」が今日も私たちに語りかけているのです。