kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
慶祝と美とグノ-シスの弥増す日々
日々の過去の出来事

今日という日12月21日 1946昭和南海地震発生、ほか写真wikipedia徳島牟岐町

12月21日
20241221土曜日旧暦11月21日先勝(己未つちのとひつじキビ)月齢 19.8
甲辰きのえたつ年丙子ひのえね月つちのとひつじ日   年末まであと10日
吉方位  南西 大吉。
https://ja.wikipedia.org/wiki/12%E6%9C%8821%E6%97%A5
12月21日の出来事
1917年 – 大之浦桐野炭鉱(現:福岡県宮若市)にて爆発事故。死者・行方不明者361人[1]。
1946年 – 昭和南海地震が発生。死者 1,330人 行方不明者 113人。
1959年 – 福岡県稲築町の三井鉱業山野鉱業所第1坑で爆発事故が発生。死亡7人、重軽傷者24人。また同日、同県鞍手町の三菱鉱業新入鉱業所第6坑で爆発事故が発生。死亡22人、重軽傷19人[3]。
1988年 – パンアメリカン航空103便爆破事件。死亡270人(全員 地上含む)。

2017年 – 堤川スポーツセンター火災: 大韓民国、忠清北道堤川市の複合商業施設で火災が発生し、29人が死亡した[6]。

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1917年 – 大之浦桐野炭鉱(現:福岡県宮若市)にて爆発事故。死者・行方不明者361人[1]。
1946年 – 昭和南海地震が発生。死者 1,330人 行方不明者 113人。

昭和南海地震(しょうわなんかいじしん)は、1946年(昭和21年)12月21日午前4時19分過ぎに潮岬南方沖(南海トラフ沿いの領域)78キロメートル(北緯32度56.1分 東経135度50.9分)、深さ24キロメートルを震源としたMj8.0(Mw8.4)のプレート境界型巨大地震である。「1946年南海地震」とも呼ばれ、単に「南海地震」といえばこの地震を指すことも多い[3]。発生当時は南海道地震(なんかいどうじしん)と呼ばれていた[4]。南西日本一帯では地震動、津波による甚大な被害が発生した。

1959年 – 福岡県稲築町の三井鉱業山野鉱業所第1坑で爆発事故が発生。死亡7人、重軽傷者24人。また同日、同県鞍手町の三菱鉱業新入鉱業所第6坑で爆発事故が発生。死亡22人、重軽傷19人[3]。
1988年 – パンアメリカン航空103便爆破事件。死亡270人(全員 地上含む)。

パンアメリカン航空103便爆破事件(パンアメリカンこうくう103びんばくはじけん)は、1988年12月21日に発生した航空機爆破事件である。通称ロッカビー事件、パンナム機爆破事件。

リビア政府の関与の下で実行されたテロ事件として国際問題となり、被害を受けたパンアメリカン航空(パンナム)がその後に経営破綻する遠因にもなった。

2017年 – 堤川スポーツセンター火災: 大韓民国、忠清北道堤川市の複合商業施設で火災が発生し、29人が死亡した[6]。

堤川スポーツセンター火災(チェチョンスポーツセンターかさい)は、2017年12月21日に大韓民国・忠清北道堤川市の複合商業施設で発生し、29人が死亡、36人が負傷した火災である[3][1][2]。

現場は9階建ての「ノーブル・フィットネス・アンド・スパ」[1]。1階駐車場・事務室、2階女性用浴場、3階男性用浴場、4-7階スポーツジム、8-9階飲食店、地下1階室内ゴルフ練習場・機械室など、が入居していた[1]。午後3時53分頃、吹き抜けになっている1階駐車場の天井から出火。スプリンクラーが作動しなかったこと、燃えやすい外壁材が使われていたこと、路上駐車に阻まれ消防車の進入が遅れたことなどが被害を拡大した[1]。

死者29人のうち20人は女性のサウナ利用者で、火災を真っ先に知った建物の男性オーナーは、男湯やジムの利用客には直接避難を呼び掛けたが、利用客が半裸である女湯には駆け込まず、外から叫んだだけだった。また、建物には女性職員もいたが、この女性職員は火災を知ると避難を呼び掛けることなく我先に脱出した。これらの行為により、女性のサウナ利用者は外から叫んだ男性オーナーの呼びかけが聞こえずに逃げ遅れた可能性があると指摘されている[4]。

なお、本火災の翌月には40名以上が死亡した密陽世宗病院火災が発生している。

コパイロット先生の12月21日エッセイください
12月21日の意義

12月21日、冬の真っ只中に位置するこの日は、歴史を通じて重要な出来事が幾度となく起こった日として知られています。年末が近づく中、この日は人々の記憶に深く刻まれた出来事が幾つもあります。

昭和南海地震は、その一つの象徴的な出来事です。1946年12月21日の早朝4時19分、南海トラフ沿いの海域でマグニチュード8.0の巨大地震が発生しました。南西日本一帯に甚大な被害をもたらし、1,300人以上の命が失われました。この自然災害は、自然との複雑な関係を改めて認識させるものでした。

産業革命に伴う進歩の影には、労働者たちが直面する危険が存在しました。1917年12月21日、現福岡県宮若市にある大之浦桐野炭鉱で爆発事故が発生し、361人の命が失われました。また、1959年には福岡県内の鉱山で爆発事故が二件発生し、多くの人命が奪われました。

世界的には、空にも悲劇が刻まれています。1988年のパンアメリカン航空103便爆破事件は、270人の命を奪ったテロ事件として知られています。この事件は、民間航空の脆弱性とテロリズムの国際的な影響を強く印象づけるものでした。

現代においても悲劇は続きます。2017年には韓国で堤川スポーツセンター火災が発生し、29人が命を落としました。この火災は建物や防火規制の重要性を再認識させるものでした。

これらの悲劇的な出来事にもかかわらず、12月21日は反省と前進の時期でもあります。過去の困難を認識し、それから学び、より安全で意識の高い社会を築くための努力を続ける必要があります。これらの出来事から浮かび上がる勇気や生存の物語は、私たちの共感と連帯の能力を思い出させるものです。

年の終わりが近づく中、12月21日は歴史の重みを感じ、未来のために思考し、行動を決意する日として重要な意味を持ちます。