kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
慶祝と美とグノ-シスの弥増す日々
日々の過去の出来事

今日という日12月16日 1944バルジの戦い始まる、写真wikipedia米兵捕虜行列横を走行するティーゲルⅡ

12月16日

20251216火曜日旧暦10月27日赤口(己未つちのとひつじキビ)月齢 25.8

乙巳きのとみ年 戊子つちのえね月 己未つちのとひつじ日 年末まであと15日

吉方位 己未つちのとひつじ日 南西 大吉

https://ja.wikipedia.org/wiki/12%E6%9C%8816%E6%97%A5

12月16日の出来事
755年(天宝14年11月9日) – 安禄山が史思明らと相謀り、宰相・楊国忠(楊貴妃の従兄)の打倒と政治体制の粛正を訴えて幽州にて挙兵(安史の乱の勃発)。時 755年12月16日 – 763年2月17日(7年2ヶ月1日間)
場所 中国北部
発端 唐の節度使の安禄山とその部下の史思明及びその子供達によって引き起こされた大規模な反乱
結果 唐王朝・ウイグル帝国連合軍[1]の勝利、唐王朝の弱体化
損害 全土で1000万人から3000万人の死者。
1477年(文明9年11月11日) – 大内政弘が周防国に撤兵し、応仁の乱が事実上終結する。年月日:(旧暦)応仁元年 – 文明9年
(ユリウス暦)1467年 – 1477年 場所:京都   結果:西軍の消滅
損害 10年間で死者概算数万~10万人規模か。詳細不明。
1575年 – チリ南部のバルディビア沖でマグニチュード8.8の地震発生(バルディビア地震)。1000人以上死亡と推定される。
1598年(慶長3年11月18日・万暦26年11月19日) – 慶長の役: 露梁海戦。損害 死者10000以上とされる。
1707年(宝永4年11月23日) – 富士山の宝永大噴火が発生し、宝永山が出現する。死者は数十人と推定。
1793年 – フランス革命戦争: トゥーロン攻囲戦で砲兵中尉のナポレオンらがトゥーロンへの一斉攻撃を開始。年月日:1793年9月18日 – 12月18日場所:フランス、トゥーロン
結果:フランス共和派の勝利損害 フランス軍 32000人中 戦死傷2000人 スペイン軍 22000人中 死者4000人。
1932年 – 東京日本橋の白木屋百貨店で火災(白木屋大火)。死者14人 負傷67人。
1944年 – 第二次世界大戦: バルジの戦いが始まる。年月日:1944年12月16日 – 1945年1月25日 場所:アルデンヌ高地(ベルギー、ルクセンブルク) 結果:連合軍の勝利

損害 連合軍 840000人中 戦死傷80000人 ドイツ軍 500000人中 戦死傷100000人。

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755年(天宝14年11月9日) – 安禄山が史思明らと相謀り、宰相・楊国忠(楊貴妃の従兄)の打倒と政治体制の粛正を訴えて幽州にて挙兵(安史の乱の勃発)。時 755年12月16日 – 763年2月17日(7年2ヶ月1日間)
場所 中国北部
発端 唐の節度使の安禄山とその部下の史思明及びその子供達によって引き起こされた大規模な反乱
結果 唐王朝・ウイグル帝国連合軍[1]の勝利、唐王朝の弱体化
損害 全土で1000万人から3000万人の死者。

安史の乱(あんしのらん)、ないし安禄山の乱(あんろくざんのらん)は、755年から763年にかけて、唐の節度使の安禄山とその部下の史思明、およびその息子たちによって引き起こされた大規模な反乱。 安禄山・史思明両者の姓をとって、「安史の乱」と呼称される。

1477年(文明9年11月11日) – 大内政弘が周防国に撤兵し、応仁の乱が事実上終結する。年月日:(旧暦)応仁元年 – 文明9年
(ユリウス暦)1467年 – 1477年 場所:京都   結果:西軍の消滅
損害 10年間で死者概算数万~10万人規模か。詳細不明。

応仁の乱(おうにんのらん)は、室町時代中期の応仁元年(1467年)に発生し、文明9年(1477年)までの約11年に及んで継続した内乱。

室町幕府管領家の畠山氏と斯波氏それぞれの家督争いに端を発し、足利将軍家の後継者問題も絡んで幕政の中心であった細川勝元と山名宗全の二大有力守護大名の抗争となり、幕府勢力が東西に分かれて争い合う戦乱に発展、さらに各々の領国にも争いが拡大する大乱となった。

明応2年(1493年)の明応の政変と並んで戦国時代移行の原因とされる[注釈 1]。

11年に渡る戦乱は、西軍が解体されたことで収束したが、主要な戦場となった京都全域は壊滅的な被害を受けて荒廃した[1]。

1575年 – チリ南部のバルディビア沖でマグニチュード8.8の地震発生(バルディビア地震)。1000人以上死亡と推定される。
1598年(慶長3年11月18日・万暦26年11月19日) – 慶長の役: 露梁海戦。損害 死者10000以上とされる。
1707年(宝永4年11月23日) – 富士山の宝永大噴火が発生し、宝永山が出現する。死者は数十人と推定。
1793年 – フランス革命戦争: トゥーロン攻囲戦で砲兵中尉のナポレオンらがトゥーロンへの一斉攻撃を開始。年月日:1793年9月18日 – 12月18日場所:フランス、トゥーロン
結果:フランス共和派の勝利損害 フランス軍 32000人中 戦死傷2000人 スペイン軍 22000人中 死者4000人。

概要
トゥーロンは、フランス王党派を支援するグレートブリテン王国(イギリス)、スペインらの軍隊によって占領されていた。ナポレオン・ボナパルトは砲兵将校として、市の港を制圧するための理想的な砲兵陣地の場所を見つけることによって名を上げた。イギリス側もまた脅威と見ていたその地点を彼が激しい突撃により攻略すると、サミュエル・フッドの指揮するイギリス艦隊は港からの脱出を余儀なくされ、反乱は鎮圧された。その功績によって24歳のナポレオンは一気に砲兵隊司令官(准将)となり、国際的な注目を浴びることとなった。

1932年 – 東京日本橋の白木屋百貨店で火災(白木屋大火)。死者14人 負傷67人。

日本の都市災害史に残る大火災のひとつ。1932年(昭和7年)12月16日午前9時15分ごろ、4階の玩具売り場で火災が発生[広報 3]。地下2階、地上8階の建物の4階から8階までを全焼して[広報 3][37]午後12時過ぎに鎮火した[要出典]。火災による死者が1人、墜落による死者が13人、傷者が67人という、日本初の高層建築物火災となった[37]。

1944年 – 第二次世界大戦: バルジの戦いが始まる。年月日:1944年12月16日 – 1945年1月25日 場所:アルデンヌ高地(ベルギー、ルクセンブルク) 結果:連合軍の勝利
損害 連合軍 840000人中 戦死傷80000人 ドイツ軍 500000人中 戦死傷100000人。

概要
北フランスへのノルマンディー上陸作戦を成功させた連合軍はドイツ軍を駆逐しつつ東進し、ベルギーのアントワープ港を補給拠点として兵站を支えた。ドイツ軍はアルデンヌから北西へ進撃してアントワープを占領することを企図し、1944年12月16日、3個軍をもってアメリカ軍を奇襲した。アメリカ軍はアルデンヌでのドイツ軍の攻撃を予期しなかったため、アルデンヌには実戦経験が皆無か、以前の戦闘で消耗していた師団ばかりが配置されていた。そのうえ悪天候により航空支援も受けられず、緒戦では多くの戦線でドイツ軍の突破を許した。しかしながらアメリカ軍は奇襲による衝撃から立ち直り、増援部隊の到着もあって防衛線を着々と固めた。ドイツ軍は計画通りの進撃ができず一部部隊のみが突出し、戦線は「バルジ」(「突出部」の意)を形成する[1]。重要拠点バストーニュ攻略に失敗したドイツ軍は12月25日には最大でもミューズ川手前で進撃停止し、翌年1945年には連合軍による反撃も強化されドイツ軍は敗走。一時的に連合軍の戦略に狂いを生じさせたものの、貴重な戦力や物資を消耗するなど高い代償を支払うこととなる[4]。

チャットgpt先生の12月16日のエッセイ


■ 12月16日という日 ― 歴史の縦糸が交差する場所

12月16日という日は、年末へ向けて静かに歩を進める中にあって、歴史を振り返ると決して静穏だけが刻まれた日ではない。
むしろ、世界のどこかで大きな変動が始まり、あるいは収束し、また災害が人々の生活を揺さぶった日でもある。
暦を眺めれば、2025年の12月16日は 旧暦10月27日・赤口・己未の日。陰陽五行では己未は「内省しつつも次の芽を育てる」とされる組み合わせで、季節の深まりともどこか響き合うようだ。

● 反乱の火蓋が切られた冬 ― 安史の乱(755)

世界史上でも特に大規模な内乱とされる安史の乱は、755年のこの日、幽州から安禄山が挙兵したことで始まった。
2,000万人とも3,000万人とも言われる死者数は、当時の世界人口を考えれば想像を絶する。
唐を揺るがせた大乱の始まりが、こうして年の瀬の一日に刻まれているのは、寒さが深まるほど歴史が厳しさを増していくようにも感じさせる。

● 日本の戦国への幕開け ― 応仁の乱の終焉(1477)

同じ12月16日、約700年後の日本では、応仁の乱が事実上終結した。
10年以上にわたった乱は京都を荒廃させ、後の戦国時代への導火線となった。
戦乱はこの日を境に静まりゆくが、社会全体は新たな混沌へ向けての準備段階に入っていた。
終わりとは次の始まりなのだと、歴史はささやく。

● 自然の峻烈さ ― 地震と噴火

1575年のバルディビア地震(M8.8)、1707年の富士山・宝永大噴火。
いずれも、人間の営みを無造作に揺さぶる自然の力を思い知らされる出来事だ。
火山灰が降り積もり、街が変わり、季節の景色すら変えてしまうほどの変化は、人間が歴史を織る糸の外側に巨大な力があることを忘れさせない。

● 若き将校の出世と戦争の陰影 ― トゥーロン攻囲戦(1793)

この日、フランス革命戦争の戦場では、若きナポレオンが一斉攻撃を開始し、後に彼の名声を決定づける勝利へ向かっていた。
歴史上の「偉人」の陰には、常に無数の名もなき死者がいる。
フランス軍だけでも2,000人、スペイン軍4,000人が命を落とした。
天才の躍進と、人間の悲劇は、いつも同じ頁に並んでしまう。

● 近代都市の脆さ ― 白木屋大火(1932)

日本初の高層建築での大火は、火そのものよりも、逃げ場を失った人々が上層階から転落して命を落としたという痛ましい事実を残した。
近代化が進むほど、災害の形は新しい姿をとる。
技術が進んでも、最後に問われるのは人々の安全への想像力だ。

● 第二次世界大戦の分岐点 ― バルジの戦い(1944)

最後の大規模攻勢に出たドイツ軍は、連合軍に甚大な損害を与えつつも敗北した。
奇襲による初動の衝撃、雪景色の中での激戦。
それでも戦線は押し戻され、やがて戦争は終結へと向かっていく。
12月の寒さの中で、人類の歴史は冷徹な判断と膨大な犠牲をもって転換点を迎えていた。


■ 冬の深まりとともに考える

12月16日の歴史を振り返ると、“変動”と“転換”が繰り返し現れる。
反乱の始まり、戦乱の終わり、天変地異、戦争の趨勢を決める戦い──いずれも、巨大な力が動き、人々の生活が大きく揺らいだ出来事ばかりだ。

暦のうえでは、年末まであと15日。
この時期はどうしても一年を振り返り、来る新しい年を思う時間が増える。
もし歴史の出来事にも季節の気配が影響するなら、この日が刻んできたのは「古い秩序が揺らぎ、新しい流れが姿を見せる瞬間」なのかもしれない。

年の瀬の静けさと、歴史の激しさ。
その対比こそが、12月16日という日の味わいである。