11月2日
20251102日曜日旧暦9月13日先負(乙亥きのといイツガイ)月齢 11.6
乙巳きのとみ年戊辰つちのえたつ月乙亥きのとい日 年末まであと59日
吉方位 隠遁日 乙亥きのとい日 北 大吉
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11月2日の出来事
1960年 – 浅沼稲次郎暗殺事件実行犯山口二矢が自害。享年17歳。
1968年 – 有馬温泉の旅館・池之坊満月城で火災。30人が死亡。
2004年 – テオ・ファン・ゴッホ、映画監督(* 1957年)殺害される。享年47歳。
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1960年 – 浅沼稲次郎暗殺事件実行犯山口二矢が自害。享年17歳。
場所 日本の旗 日本・東京都千代田区日比谷公会堂
標的 浅沼稲次郎日本社会党委員長
日付 1960年(昭和35年)10月12日
武器 脇差のような刃物
死亡者 浅沼稲次郎
山口の自殺
逮捕後の山口は取調べに対し若年ながら理路整然と受け答えしていたという。事件の3週間後の11月2日夜、東京少年鑑別所の単独室で、白い歯磨き粉を溶いた液で書いた[注釈 4]「七生報国 天皇陛下万才」〔ママ〕の文字を監房の壁に残した後にシーツで首を吊って自殺した[14][15]。
山口の慰霊祭は「烈士山口二矢君国民慰霊祭」として、12月15日午後1時から、事件のあった日比谷公会堂で執り行われた。名士も含め在京右翼のほとんど全員が集まり、約3千人が参加した[16]。
この事件で警視庁は山口のほかに「全アジア反共青年連盟」責任者・吉松法俊(当時32歳)を恐喝容疑で、右翼団体「防共挺身隊」の福田進隊長(当時32歳)を公正証書原本不実記載および強要容疑で、また赤尾敏を威力業務妨害容疑で、それぞれ逮捕した。
山口 二矢(やまぐち おとや、1943年(昭和18年)2月22日 – 1960年(昭和35年)11月2日)は、1960年(昭和35年)10月12日に発生した浅沼稲次郎暗殺事件の実行犯。
1960年(昭和35年)10月12日、政党代表放送で演説中の日本社会党の党首浅沼稲次郎を脇差様の刃物で殺害した。山口は逮捕され東京少年鑑別所内で縊死した。
1968年 – 有馬温泉の旅館・池之坊満月城で火災。30人が死亡。
2004年 – テオ・ファン・ゴッホ、映画監督(* 1957年)殺害される。享年47歳。
テオ・ファン・ゴッホ(Theo van Gogh)ことテオドール・ファン・ゴッホ(Theodoor van Gogh、1957年7月23日 – 2004年11月2日)は、オランダの映画監督、テレビプロデューサー、著述家、俳優。画家フィンセント・ファン・ゴッホの弟テオドルス(テオ)の曾孫。
人物
テオドルスの息子フィンセント・ウィレムの二男ヨハンの子として生まれる。法学校中退後、劇場の支配人となるが映画製作に情熱を抱いており、1981年に『Luger』で映画監督としてデビューする。1996年の『Blind Date』と1997年の『In het belang van de staat (In the Interest of the State)』ではオランダのオスカーとも言えるGouden Kalf賞を受賞した。サンフランシスコ国際映画祭においてCertificate of Meritも受賞している。俳優としては1992年の「”De noorderlingen (The Northerners)』に出演している。その後、テレビプロデューサーとして、また新聞に物議を醸すようなコラムを書くなどして活動していた。
テオは論争を巻き起こす文章を書く名人であったと言える。中傷するようなトーン、個人的な敵意があるかのような文調により、彼は他のライターや著名人によって多くの訴訟を起こされ、寄稿していた雑誌をクビになり、以後は自身のウェブサイト「De Gezonde Roker (The Healthy Smoker)』で活動することを余儀なくされた。
テオは人生に対して強い虚無的な見方をしていた。大酒を飲み、オランダ人らしくコカインを使用していることをオープンにし、恋愛に関して冷笑的な見方をしていた。また自分の生活を楽しんでいるかのように見えたが、彼自身はいつ死んでもかまわないというようなことを語っていたという。
テオの最後の著書『Allah weet het beter (Allah Knows Best)』はイスラーム社会を扱ったものであり、冷笑的であざけるかのような彼の典型的なスタイルで書かれている。テオは特に2001年のアメリカ同時多発テロ事件以後、イスラーム批判でよく知られていた。また、彼はソマリア出身反イスラーム主義者の政治家アヤーン・ヒルシ・アリを支援していた。
映画 “Submission”
アリの脚本を元に作られた短編映画『Submission』は、4人の虐待されるムスリム女性を描き、イスラム社会における女性への暴力を扱っている。タイトルの『Submission』とは『Islam』の英語訳である。この作品では、透明なチャドルで覆われた女性の裸体が映し出される。彼女たちはその姿で祈り、アラーに語りかけるように物語を綴ってゆく。
2004年にこの映画が公開された後、アヤーン・ヒルシ・アリとテオの2人は殺害の脅しを受けている。テオはこの脅迫を真剣なものと捉えず、一切の保護を拒否したと言われている。この映画はイスラム社会から、イスラムの教えを誤って認識しているとされた。
死
テオは2004年11月2日の早朝、アムステルダムのオースト=ワーテルグラーフスメール (Oost-Watergraafsmeer) 区役所の前、LinnaeusstraatとTweede Oosterparkstraatの角の路上の花屋の前で殺害された[1]。47歳であった。8発撃たれ、その場で亡くなったが、更に喉を切り裂かれ、胸までも刺されてもいた。2本のナイフが遺体に刺されたまま残っており、そのうちの1つには5ページにわたるメモが留めてあった。このメモには欧米政府、ユダヤ、アヤーン・ヒルシ・アリに対する脅迫が書かれていた。また、エジプトの組織Takfir wal-Hijraのイデオロギーに言及するものであった。
犯行を行ったモハンマド・ボウイェリは26歳のモロッコ系オランダ市民(二重国籍者)であり、銃撃戦の後に警察により逮捕された。彼はアムステルダム生まれで高等教育も受けていたが、オランダの過激派Hofstad Networkとの関連があったとされる。ボウイェリはまた、警察官と一般人の殺害未遂、銃の違法所持、アヤーン・ヒルシ・アリ殺害を企てたとして2005年7月26日、仮釈放なしの終身刑を宣告された。
テオは亡くなる前、暗殺されたオランダの政治家ピム・フォルタインに関する映画を製作中であった[2]。この映画は2004年12月にインターネット上で公開され、2005年の1月にプレミア上映された。
チャットgpt先生の11月2日のエッセイ
11月2日 ― 沈黙の余白にて
十一月の初め、木々の色は深まり、冷えた空気がひときわ透明になる。
旧暦では九月十三日、月齢は十一。夜空には欠けながらも光を湛える月が浮かび、暦の上では「隠遁日」とある。外に出るより、内に籠ることが吉とされる日。人はこうした暦の言葉をどこかで信じながら、無意識に静けさを求めてしまう。
しかし、この十一月二日という日は、歴史の中ではしばしば静寂を拒むようにして、人の生と死が交錯してきた。
1960年、浅沼稲次郎暗殺事件の実行犯・山口二矢が自ら命を絶ったのも、この日だった。
十七歳という若さ。少年鑑別所の狭い部屋の中、歯磨き粉を溶いた白い液で「七生報国 天皇陛下万才」と壁に記したという。政治の名のもとに人を殺し、その後、自らをも殺した若者。その文字は、信念と狂気、忠誠と孤独のあいだに漂う、かすかな悲鳴のようでもある。
彼の行為を是とすることはできない。だが、十七歳の彼が抱いた「世界への怒り」と「正義への渇き」は、時代の影に潜んでいた不安や絶望を映していたのかもしれない。
八年後の同じ日、1968年。有馬温泉の旅館・池之坊満月城が炎に包まれ、三十人の命が奪われた。
火というものは、古来より人を温め、また奪う。十一月の冷たい夜に燃え上がったその炎は、秋の深まりとともに訪れる静けさを裂いた。宿に泊まった人々は、誰一人として死を予感していなかっただろう。日常の穏やかさが、いかに脆いものかを、この火災は語っている。
そして2004年、オランダの映画監督テオ・ファン・ゴッホが路上で殺された。
自由を語ることが、命を懸けることと同義になる時代。
イスラーム社会の女性抑圧を描いた短編『Submission』。その作品が生んだ波紋は、信仰と表現の自由の境界を鋭く突き崩した。彼の死体には刃が刺さったまま、そこにメモが留められていたという。その残酷さは、信念が狂気に変わる瞬間の人間の姿を象徴している。
「言葉」は世界を変える力を持つ。しかし同時に、「言葉」は人を殺す理由にもなる。
十一月二日――その日付の中に、奇妙なほどに「信念」と「死」が並んでいる。
それは政治の名のもとに、宗教の名のもとに、あるいは単なる偶然の中で、繰り返される人間の宿命なのかもしれない。
暦を見ると、この日の吉方位は「北」。
「隠遁日」とされ、「北」――すなわち陰、静寂、内省を象徴する方角が吉とある。
過去にこの日に起きた出来事を思えば、それはあまりにも象徴的だ。
騒動と怒号の裏で、暦がそっと告げているのは「今日は黙って、己を見つめよ」ということなのだろう。
年の瀬まであと五十九日。
忙しなさに流されるこの季節、私たちは一瞬立ち止まり、耳を澄ませてみたい。
亡くなった人々の声、燃え尽きた火の残り香、凍てつく夜に浮かぶ欠けた月――
それらのすべてが、私たちの中の静かな部分に触れ、問いかけてくる。
「あなたは、何を信じて生きているのか」と。

