今日という日10月2日 1955年 – 世界初のコンピュータENIACの使用がこの日の午後11時45分をもって中止、ほか写真wikipedia2人の女性プログラマーとENIAC。
10月2日
20261002金曜日旧暦8月22日大安(46番己酉つちのととりキユウ)月齢 20.9
43番丙午ひのえうま年 34番丁酉ひのととり月 46番己酉つちのととり日
吉方位 隠遁日 己酉つちのととり日 西 大吉 年末まであと90日
https://ja.wikipedia.org/wiki/10%E6%9C%882%E6%97%A5
10月2日の出来事
1552年 – カザン包囲戦(英語版): イヴァン4世のロシア軍がカザンに入城する。カザンハン国滅亡の原因 損害 イヴァン雷帝ロシア 15万人中1500人 カザンハン軍5万人中 戦死傷65000人(民間含む)
1649年 – クロムウェルのアイルランド侵略: ウェックスフォードの略奪(英語版)が始まる。10月11日まで。損害 アイルランド軍 4千人中 戦死傷2000人残りは捕虜 クロンウェル軍 6千人中 戦死20人。
1941年 – 第二次世界大戦・独ソ戦: ドイツ軍がモスクワ攻略戦(タイフーン作戦)を開始。
年月日:1941年10月2日 – 1942年1月7日(3ヶ月と5日)
結果:
ソ連軍の戦略的勝利
ドイツの作戦、戦術の失敗
バルバロッサ作戦の失敗
損害
ドイツ軍 延べ兵力190万人中 戦死傷170000人強 ソ連軍 140万人中 戦死傷 1000000人。
1942年 – 第二次世界大戦: アイリッシュ海でクイーン・メリー号が護衛の軽巡洋艦キュラソーと衝突。キュラソーは沈没し乗員338名が死亡。
1955年 – 世界初のコンピュータENIACの使用がこの日の午後11時45分をもって中止される。
1968年 – メキシコシティーオリンピック開催10日前のメキシコシティーのラス・トレス・クルトゥラレス広場(三文化広場)でトラテロルコ事件が発生。軍と警察による学生と民間人の大虐殺事件である。死亡詳細不明だが400人程度。
1990年 – 廈門航空機ハイジャック事件。ハイジャックされた厦門航空のボーイング737型機が広州に着陸する直前にハイジャッカーと機長が揉み合いになり地上の飛行機2機と衝突、132名が死亡する。
1992年 – カランジル虐殺事件(英語版): サンパウロのカランジル刑務所で111人の囚人が殺される。指揮権を持っていたウビラタン・ギマランイスサンパウロ州軍警察大佐には、懲役632年が言い渡される。
1996年 – アエロペルー603便墜落事故。乗員乗客70名全員が死亡。
2002年 – ワシントンD.C.で、民間人が狙撃される殺人事件が発生。狙撃はその後10月22日まで続き、10人の命が奪われた[5]。
2019年 – ブラッドレー国際空港にて第二次世界大戦時代のB-17爆撃機が着陸後に空港施設に突っ込む事故が発生。少なくとも搭乗者ら7人が死亡し、9人が負傷した[8]。
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1552年 – カザン包囲戦(英語版): イヴァン4世のロシア軍がカザンに入城する。カザンハン国滅亡の原因 損害 イヴァン雷帝ロシア 15万人中1500人 カザンハン軍5万人中 戦死傷65000人(民間含む)
1649年 – クロムウェルのアイルランド侵略: ウェックスフォードの略奪(英語版)が始まる。10月11日まで。損害 アイルランド軍 4千人中 戦死傷2000人残りは捕虜 クロンウェル軍 6千人中 戦死20人。
ウェックスフォードの略奪は、1641年から1653年のアイルランド連合戦争の一部であるクロムウェルのアイルランド征服中の1649年10月2日から11日まで行われました。オリバー・クロムウェル率いるイングランド連邦軍は、交渉が決裂した後に町を襲撃し、アイルランド連合国と王党派の守備隊の大半を殺害した。多くの民間人も略奪中に死亡したか、スレイニー川を渡って逃げようとして溺死した。
1941年 – 第二次世界大戦・独ソ戦: ドイツ軍がモスクワ攻略戦(タイフーン作戦)を開始。
年月日:1941年10月2日 – 1942年1月7日(3ヶ月と5日)
結果:
ソ連軍の戦略的勝利
ドイツの作戦、戦術の失敗
バルバロッサ作戦の失敗
損害
ドイツ軍 延べ兵力190万人中 戦死傷170000人強 ソ連軍 140万人中 戦死傷 1000000人。
モスクワの戦い(モスクワのたたかい、ロシア語: Битва за Москву, ローマ字表記:Bitva za Moskvu, 英語: Battle of Moscow)は、第二次世界大戦中の1941年10月2日から1942年1月7日にかけてモスクワ近郊で行われた戦闘である。この戦いは600kmの防衛区域で二段階に分かれて行われた。モスクワはソビエト連邦の首都であり、最大の都市であったため、バルバロッサ作戦で最も重要な軍事的、政治的な目標の一つであった。
この戦いはドイツ側で「タイフーン作戦」(ドイツ語:Unternehmen Taifun, 英語:Operation Typhoon)と名付けられており、モスクワ北部と南部からの両翼包囲を必要とした。
1942年 – 第二次世界大戦: アイリッシュ海でクイーン・メリー号が護衛の軽巡洋艦キュラソーと衝突。キュラソーは沈没し乗員338名が死亡。
1955年 – 世界初のコンピュータENIACの使用がこの日の午後11時45分をもって中止される。
ENIAC(エニアック、Electronic Numerical Integrator and Computer[1])[2][3]は、アメリカで開発された黎明期の電子計算機。
特徴
電子式でデジタル式だがプログラム内蔵方式とするにはプログラムのためのメモリはごくわずかで、パッチパネルによるプログラミングは煩雑ではあったものの、必ずしも専用計算機ではなく広範囲の計算問題を解くことができた[4]。しかし、任意の計算可能な問題について計算できるという能力が当初の時点で基本的にはあったわけではなく(後述)、アナログ機械式計算機の一種類である微分解析機と同様に、微分方程式で表すことができるような多くの種類の問題について積分法によって数値的な解を得る(ただしこちらは数値的(ディジタル)に)、という機械である。後の改良により、ごく小規模だがプログラミング的な使い方も可能になり、円周率の桁数向上記録の歴史で有名な1949年の2037桁という記録は、そのような改良後の機能を活用したものである。
1968年 – メキシコシティーオリンピック開催10日前のメキシコシティーのラス・トレス・クルトゥラレス広場(三文化広場)でトラテロルコ事件が発生。軍と警察による学生と民間人の大虐殺事件である。死亡詳細不明だが400人程度。
1990年 – 廈門航空機ハイジャック事件。ハイジャックされた厦門航空のボーイング737型機が広州に着陸する直前にハイジャッカーと機長が揉み合いになり地上の飛行機2機と衝突、132名が死亡する。
1992年 – カランジル虐殺事件(英語版): サンパウロのカランジル刑務所で111人の囚人が殺される。指揮権を持っていたウビラタン・ギマランイスサンパウロ州軍警察大佐には、懲役632年が言い渡される。
1996年 – アエロペルー603便墜落事故。乗員乗客70名全員が死亡。
2002年 – ワシントンD.C.で、民間人が狙撃される殺人事件が発生。狙撃はその後10月22日まで続き、10人の命が奪われた[5]。
2019年 – ブラッドレー国際空港にて第二次世界大戦時代のB-17爆撃機が着陸後に空港施設に突っ込む事故が発生。少なくとも搭乗者ら7人が死亡し、9人が負傷した[8]。
チャットgpt先生の10月2日のエッセイ
10月2日という日付に並ぶ出来事を、暦や道徳的評価から切り離して見ると、かなり明確な共通項が浮かびます。
10月2日――「中心を取りに行く日」に起きたこと
10月2日の歴史には、偶然とは思えないほど「中心」「要衝」「指揮系統」「技術体系の転換点」に関わる出来事が並んでいる。
1552年のカザンでは、イヴァン4世の軍が都市を攻略した。1649年のウェックスフォードでは、クロムウェル軍が都市への攻撃に入った。1941年にはドイツ軍がモスクワ攻略を目指すタイフーン作戦を開始した。
時代も地域も違う。しかし構造は似ている。
相手の中心を押さえれば、全体の構造を崩せる。
これが近世以前の戦争では都市攻略として現れ、20世紀には首都攻略として現れた。
ただし、モスクワの戦いはその単純な原理に対する反証でもある。
ドイツ軍は巨大な兵力を投入し、モスクワを目指して進撃した。初期段階ではソ連軍を大規模に包囲し、ドイツ側が圧倒的な作戦上の成功を収めた局面もあった。それでも最終的にモスクワを陥落させることはできなかった。
ここで重要なのは、単純な「兵力」ではない。
戦争では、
兵力 × 補給 × 距離 × 時間 × 地形 × 指揮統制
の積み重ねによって、実際に使える戦力が決まる。
モスクワへの距離が伸びれば、ドイツ軍にとって前線は長くなる。燃料、弾薬、食料、予備部隊、車両、修理能力が必要になる。一方、ソ連側は自国の中枢部を守る戦争だった。
つまり同じ100万人でも、その100万人が置かれている位置によって意味が違う。
ここにリアリスト的な戦争観がある。
数字そのものではなく、数字が置かれた構造を見る。
1942年のクイーン・メリー号とキュラソーの衝突も、別の意味で構造を示している。
クイーン・メリー号は巨大な客船であり、戦時には兵員輸送船として使用されていた。キュラソーは護衛艦だった。
護衛という関係にある二つの船が衝突し、護衛艦側が沈没した。
ここでは「味方だから安全」という前提が成立しない。
巨大なシステムになるほど、内部には速度差、情報差、判断差が生じる。
これは軍事に限らない。
国家でも企業でも組織でも、
規模が大きくなるほど、内部調整そのものがリスクになる。
外敵に破壊されなくても、内部の認識のズレによってシステムは損傷する。
1955年10月2日、ENIACの運用が終了した。
これは一見すると戦争史とは無関係だが、実は10月2日の流れの中に置くと非常に面白い。
1552年には都市を奪うための軍事力。
1941年には国家の中心を奪うための機械化された巨大軍。
1955年には巨大な電子計算機の役割が終わる。
つまり、力の形が変わっている。
かつて国家の能力を決めたのは、土地、人口、軍隊、鉱山、工場だった。
20世紀になると、そこに
計算能力
が加わる。
ENIACは巨大で、現代のコンピュータから見れば極端に非効率だった。しかし重要なのは性能の絶対値ではない。
「計算を電子的に高速化する」という方向性を実用化したことに意味がある。
ここから先、国家や企業の競争力は、人間の数だけでは測れなくなっていく。
情報をどれだけ速く処理できるか。
どれだけ複雑な問題を計算できるか。
どれだけ大量の情報を蓄積できるか。
そして最終的には、
情報を処理して意思決定に変換する能力
そのものが権力になる。
1968年のトラテロルコ事件、1990年の厦門航空機ハイジャック事件、1992年のカランジル刑務所事件、1996年のアエロペルー603便墜落事故、2002年のワシントンD.C.の狙撃事件、2019年のB-17事故。
ここまで来ると、10月2日の歴史は「大戦争の日」というより、
巨大システムの脆弱性が露出する日
として読める。
国家。
軍隊。
都市。
航空機。
刑務所。
空港。
コンピュータ。
これらはすべて、人間個人より大きなシステムだ。
しかし巨大なシステムには必ず、
- 情報の欠落
- 認識のズレ
- 指揮命令系統の問題
- 技術的限界
- 人間の判断ミス
- 想定外の相互作用
が入り込む。
そして平時には見えない弱点が、危機になった瞬間に一気に表面化する。
10月2日の出来事を時系列で並べると、もう一つの変化も見える。
1552年――都市を包囲する。
1649年――都市を襲撃する。
1941年――首都を包囲する。
1942年――海上輸送システムで事故が起きる。
1955年――巨大計算機の時代が一区切りつく。
1968年――巨大都市の政治的緊張が爆発する。
1990年代――航空・刑務所・航空管制など巨大システムの事故・事件が発生する。
2000年代以降――高度にネットワーク化された社会の中で、局所的な攻撃が広域の危機になる。
ここには近代史そのものが圧縮されている。
戦場が「都市」から「システム」へ移っている。
昔の戦争では、城を落とせばよかった。
近代戦では、首都、工業地帯、鉄道、港湾、燃料基地を破壊する必要がある。
現代では、それだけでは足りない。
金融、通信、電力、衛星、データセンター、物流、半導体、クラウド、サプライチェーンまでが国家能力を構成する。
つまり、攻撃対象が「場所」から「機能」へ変化している。
だから10月2日の歴史を一本の線として読むなら、私はこう見る。
10月2日は「中心をめぐる競争」の歴史である。
カザンでは都市そのものが中心だった。
ウェックスフォードでは港湾都市と軍事拠点が中心だった。
モスクワでは首都と国家中枢が中心だった。
ENIACでは計算能力という新しい国家能力が中心になった。
航空事故では巨大な輸送システムの一部が中心になった。
そして現代では、中心そのものが見えなくなっている。
データセンターかもしれない。
港湾かもしれない。
半導体工場かもしれない。
通信網かもしれない。
金融決済システムかもしれない。
あるいは、意思決定を行う人間そのものかもしれない。
ここに現代のリアリズムがある。
力とは、単純に「何人いるか」「何台あるか」ではない。
相手より先に情報を得ること。
相手より早く判断すること。
相手より遠くまで補給できること。
損害を受けても機能を維持できること。
そして何より、
システムのどこを押せば全体が動き、どこを失えば全体が止まるのかを知ること。
1552年のカザン攻略から1941年のモスクワ攻略、そしてENIACを経て現代の高度なネットワーク社会までを見ると、権力の本質は消えていない。
ただし、その「中心」が変わった。
城壁から首都へ。
首都から工業力へ。
工業力から計算力へ。
計算力から情報ネットワークへ。
そして現在は、それらすべてが一つの巨大なシステムとして結びついている。
10月2日に並ぶ戦争、事故、技術、事件を眺めていると、歴史とは出来事の羅列ではなく、
「どこを押さえれば全体を動かせるのか」を人類が更新し続けてきた記録
なのだということが見えてくる。
そして巨大化した現代社会では、最も重要な場所が、必ずしも地図上の一点として存在するとは限らない。
それはネットワークの中にある。
そのため現代の競争では、「中心を占領する」よりも難しいことが一つある。
中心そのものがどこにあるのかを見抜くこと。
10月2日の歴史は、その変化をかなり鮮明に映している。

