kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
慶祝と美とグノ-シスの弥増す日々
日々の過去の出来事

今日という日8月5日

8月5日

20230805土曜日 旧暦6月19日 赤口 乙未きのとひつじ イツビ 月齢 18.4

年末まであと148日

https://ja.wikipedia.org/wiki/8%E6%9C%885%E6%97%A5

8月5日の歴史上の出来事

1763年 – ポンティアック戦争: ブッシーランの戦い (en:Battle of Bushy Run)

ポンティアック戦争(ポンティアックせんそう、英: Pontiac’s Rebellion)は、フレンチ・インディアン戦争/七年戦争 (1754-1763)の終結後、イギリスの五大湖地方支配に不満を抱いたインディアンが侵略者であるイギリス白人に対して1763年に戦いを挑んだ「インディアン戦争」である。

8月1日、ブーケット大佐が指揮する500名のイギリス軍がピット砦に向かっているという報に接したインディアン部族はこれを阻止するために砦の包囲を解いた。8月5日、この2つの軍勢がブッシーランの戦いで会した。ブーケット隊は多くの損害を被った

インディアン戦争は苛烈で、捕虜の殺害や、一般市民を攻撃目標にしたり、また他にも民間人への残虐行為が双方で見られた。今日でも知られている出来事としては、ピット砦のイギリス軍士官が天然痘ウィルスに汚染された毛布を贈り物にし、周辺のインディアンにこれを感染させたことである。紛争の冷酷残忍さはイギリス人入植者とインディアンの間の増幅する民族間対立の反映であった。イギリス政府は、入植者とインディアンの土地の間に境界を設定する1763年宣言を発して、これ以上民族間対立がひどくならないようにした。

1783年(天明3年7月6日) – 浅間山の天明大噴火が発生

1945年 – 第二次世界大戦・日本本土空襲: 前橋空襲。

1945年 – 第二次世界大戦・日本本土空襲: 湯の花トンネル列車銃撃事件。

湯の花トンネル列車銃撃事件(いのはなトンネルれっしゃじゅうげきじけん)は、第二次世界大戦末期の昭和20年(1945年)8月5日正午過ぎに東京都南多摩郡浅川町(現・八王子市裏高尾町)内の運輸省鉄道総局(国鉄。現・東日本旅客鉄道:JR東日本)中央本線、湯の花トンネルでアメリカ軍のP-51戦闘機複数機が満員状態の列車に対して執拗な機銃掃射を加え、多数の死傷者が発生した事件である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B9%AF%E3%81%AE%E8%8A%B1%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB%E5%88%97%E8%BB%8A%E9%8A%83%E6%92%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6

8月2日未明に八王子市はアメリカ軍のB29爆撃機による空襲(八王子空襲)を受け、市街地の八割が焼失し中央本線も不通となっていたが、8月5日に全面開通した。 419列車は復旧後2本目の列車であり、また八王子駅で419列車が出発する前の列車が発車しなかったため大変な混雑だった。

419列車は第一浅川橋梁を通過した後、湯の花トンネルの手前で、進行方向左側の太平洋側から飛来したアメリカ軍第7戦闘機集団所属グラント大尉指揮下のP-51戦闘機複数機(2機から4機だったと言われている。2機から3機とする説もある)に捕捉され、機銃掃射とロケット弾の攻撃を受け、トンネル内に機関車と客車2両目の半分程が入ったところで急停車した。 ロケット弾は外れたが、トンネルから出ていた車両は反復して機銃掃射に晒され40名近くが即死した。車内は多数の乗客と手荷物により身動きが取れない状態であり混乱を極めたが、乗客は銃撃の合間を縫って車外に脱出し、付近の山林やトンネル内に逃げ込んだ。

犠牲者の数については、国鉄の資料によると49名となっているが、警視庁は52名としている。また、事件の慰霊会は60名以上が犠牲になったとしている。負傷者は130名以上であったと言われているが、戦時体制下のため、当時の正確な記録が残されていないという。

**許せん!これも敗戦国故 隠蔽された事件の一つだろう。

2018年 – インドネシア、ロンボク島でマグニチュード6.9の地震が発生。400人以上が死亡。

2020年 – レバノンの首都ベイルートで爆発事故が発生。硝酸アンモニウムの管理瑕疵が爆発の原因とみられている。30万人以上が避難し、100人超死亡、4000人超が負傷。

チャットgpt先生の8月5日のエッセイ

8月5日のエッセイ

8月5日、暦の上では夏の真っ盛り、暑さが頂点に達する季節です。しかし、この日は歴史上、数々の重要な出来事が起こった日でもあります。

1763年のこの日、北米大陸ではポンティアック戦争が繰り広げられていました。この戦争は、フレンチ・インディアン戦争の終結後、イギリスの五大湖地方支配に不満を抱いたインディアンが侵略者であるイギリス白人に対して戦いを挑んだもので、この日はブッシーランの戦いが行われました。この戦争は、インディアンと白人入植者との間の深刻な対立を象徴するものであり、その後の北米の歴史に大きな影響を与えました。

また、1783年の8月5日は、日本で浅間山の天明大噴火が発生した日でもあります。この噴火は、その規模と被害の大きさから、日本の火山活動の歴史において重要な位置を占めています。

1945年の8月5日は、第二次世界大戦末期の日本で、前橋空襲が行われた日であり、また湯の花トンネル列車銃撃事件が発生した日でもあります。これらの出来事は、戦争の悲惨さと無意味さを改めて我々に思い起こさせます。

そして、近年では2018年にインドネシアのロンボク島で大地震が発生し、400人以上が命を失いました。また、2020年にはレバノンの首都ベイルートで大爆発が発生し、多くの人々が被災しました。

これらの出来事は、8月5日という一日に起こった様々な歴史的な出来事を通じて、我々に多くの教訓を与えています。それは、自然の力の前では人間は無力であるということ、戦争は無意味であるということ、そして何よりも人々の命と安全が何よりも大切であるということです。

8月5日は、これらの出来事を思い出し、過去の教訓から学び、未来に向けて進むための一日とも言えるでしょう。

https://www.takaopress.net/mame2-21.html

終戦直前の悲劇、猪鼻トンネル(湯ノ花)列車銃撃事件

戦時下とはいえこれは国際法にも違反する人道上許されぬ行為として当時非難の声があがりました。