kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
慶祝と美とグノ-シスの弥増す日々
日々の過去の出来事

今日という日8月13日

8月13日

20230813日曜日 旧暦6月27日 友引 癸卯いずのとう キボウ 月齢 26.4

年末まであと140日

https://ja.wikipedia.org/wiki/8%E6%9C%8813%E6%97%A5

8月13日の歴史上の出来事

1521年 – アステカ文明の湖上の都テノチティトランがエルナン・コルテスによって陥落。

1536年(天文5年7月27日)- 天文法華の乱。比叡山延暦寺の僧兵と六角氏の軍勢が京に侵入、市中の21の法華宗寺院に火をつけ炎上させる。

1553年 – 三位一体説批判のかどでカトリック・プロテスタントの双方から追われていたミシェル・セルヴェがジャン・カルヴァン治下のジュネーヴで捕らえられる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%B4%E3%82%A7

1531年に名前を隠して『七つの書物における三位一体説の誤謬』(De Trinitatis erroribus libri septem)という中世ラテン語の小冊子を出版し、神における三人格の三位一体に疑いを投げかけ、否定した。この冊子の作者として発覚したり罰を受けることはなかったようであるが、続いて1553年に『キリスト教の復原』(Restitutio Christianismi)という大著を名前を明かして出版し、カトリックと改革派双方の権力体制を本来のキリスト教の堕落であると批判。この本の中で血液循環説について書いている。

『キリスト教の復原』での宗教的権力体制への非難により、イタリアのミラノで投獄されたが、旧友であった刑務所長の助けで脱獄、欠席裁判で火刑の判決が下った。北のスイスに逃亡し、ジャン・カルヴァンが独裁統治していたジュネーヴに身を寄せたところをすぐに捕らえられ、裁判で火刑の判決を受け、執行され焼死した。

セルヴェは三位一体の古典的な概念を否定し、その教義が聖書に基づいていないと指摘した。それがギリシャの哲学者の教えから生じたと指摘し、ニケアの三位一体論の発展に先立つ福音書の単純さと初期の教父たちの教えへの回帰を提唱した。神は普遍的で遍在的であり、不可分で唯一の存在であると考えた。また、父、子、聖霊は神の性質であり、分離した別個の存在ではないと主張した。神は完全であり、慈悲深く善であり、生気に満ちたものであれ生気のないものであれ、あらゆるものに内在し、全ての存在はこの「中心の力」によって活性化され、本性を得ているという。宇宙にある一切は神であり、全ては神の表現であるがゆえに、人間も神聖であるとした。この宇宙に二元性はなく、悪は単に欠如に過ぎず、悪とは光の不在による闇のようなものであり、実質的な意味はないと考えた。

1945年 – 第二次世界大戦・ソ連対日参戦: 小山克事件。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%B1%B1%E5%85%8B%E4%BA%8B%E4%BB%B6

小山克事件(しょうさんこくじけん)とは1945年8月13日に満州国吉林省で南満州鉄道京図線が九台駅と吉林駅の間の小山克で武装した暴民に襲われ、日本人避難民が強姦・虐殺され集団自決した事件。

新京を出発した避難列車が九台駅に到着すると鎌などで武装した暴民たちが待ち構えていた[11]。列車警備の満人鉄道公安官達は、避難民に暴力が振るわれない限りにおいて暴民の狼藉を黙認したため、暴民達は客車に乱入して避難民から金品を奪っていった[12]。その後、九台駅を出発した列車はいくつかの小さな駅を停車することなく素通りした[12]。

夕刻に吉林盆地に抜ける小山克トンネルに差し掛かろうとしたところ、小銃で武装した暴民たちが線路を焼き払い待ち構えていた[12]。列車がやむなく停止すると、暴民たちは客車に乱入し、鉄道公安官の拳銃を奪い取るとともに縛り上げた[12]後、日本女性たちを車外に連れ出して輪姦を始めた[13]。暴民たちは抵抗するものは射殺し、女性が抱いている乳児は窓から放り投げて殺害した[14]。このため、100人以上の女性たちが崖から谷底に飛び降りて自決した[14]。避難民たちは、事件を知らせるために次々と使者を送りだしたが、暴民たちによってトンネルにたどりつく前に射殺されていった[14]。唯一、谷底に転落した13歳の少女だけが負傷しながらも5キロ先の駅にたどり着いて事件を知らせることができた[14]。

知らせを受けた関東軍第一方面軍所属の吉林駐屯中の松下部隊から池内少佐率いる一個大隊600名が列車で派遣され、8月14日午前5時半ごろに事件現場に到着した[15]。日本女性を抱きながら眠り込んでいた[15]暴民たちは、日本軍の到着を知るや否や、逃走を試みるか女性たちを楯に立てこもったが、日本軍によって次々に射殺または捕縛された[15]。日本軍は暴民を鎮圧すると、直ちに線路を復旧し、列車は通化に到着した。同市の避難民収容所に収容された避難民たちは、後に通化事件に巻き込まれることになった。

1985年 – 前日に発生した日本航空123便墜落事故の乗員・乗客の捜索開始。4名の生存者が発見される。

チャットgpt先生の8月13日のエッセイ

8月13日 – 歴史の風に吹かれて

8月13日、暑さが厳しさを増すこの日には、歴史の風が吹き抜けています。過去から現在へ、そして未来へと繋がる一日に思いを馳せてみましょう。

1521年、この日には遠くメキシコで、アステカ文明の湖上の都テノチティトランがエルナン・コルテスによって陥落しました。新旧の文明が交錯する瞬間、世界の歴史は大きく舵を切ったのです。

そして、日本の地では1536年、天文法華の乱が起こりました。比叡山延暦寺の僧兵と六角氏の軍勢が京に侵入、市中の法華宗寺院に火をつけました。宗教と権力が絡み合う混乱の時代、人々の心は何を思ったのでしょうか。

また、1553年にはミシェル・セルヴェがジャン・カルヴァン治下のジュネーヴで捕らえられ、火刑にされました。彼は三位一体の古典的な概念を否定し、その教義が聖書に基づいていないと指摘。神は普遍的で遍在的であり、不可分で唯一の存在であると考えました。彼の思想は、その後の宗教観に大きな影響を与えました。

そして、近代の1945年、第二次世界大戦末期に起きた小山克事件。日本人避難民が強姦・虐殺され、集団自決を余儀なくされたこの事件は、戦争の悲劇を改めて私たちに思い起こさせます。

また、同じ日の1985年、日本航空123便墜落事故の捜索が始まり、4名の生存者が発見されました。この事故は、日本の航空史上最も多くの犠牲者を出した事故として記憶されています。

8月13日、この一日には様々な歴史的出来事が詰まっています。それぞれの出来事は、その時代の人々の思いや、社会の状況を映し出しています。そして、それらは私たち現代人にも多くの教訓を残しています。

歴史は過去の出来事の記録であり、同時に未来への道しるべでもあります。8月13日、この日に思いを馳せ、歴史の風に吹かれながら、私たちはどのような未来を描くべきか考えてみてはいかがでしょうか。