kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
慶祝と美とグノ-シスの弥増す日々
日々の過去の出来事

今日という日5月28日 2019登戸通り魔殺人事件、ほか写真wikipedia事件現場

5月28日

20240528火曜日旧暦4月21日赤口 壬辰みずのえたつジンシン 月齢 20.0

年末まではあと217日

https://ja.wikipedia.org/wiki/5%E6%9C%8828%E6%97%A5

5月28日の出来事

1961年 – 岩手県新里村の山林から出火。フェーン現象による強風に煽られ田老町、宮古市、岩泉町、普代村、久慈市にいたる40万ha以上に延焼する大規模火災(山火事)となった。死者5人、負傷119人、全焼住宅1235棟[6]。

2019年 – 川崎市登戸通り魔事件が発生する[13]。

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1961年 – 岩手県新里村の山林から出火。フェーン現象による強風に煽られ田老町、宮古市、岩泉町、普代村、久慈市にいたる40万ha以上に延焼する大規模火災(山火事)となった。死者5人、負傷119人、全焼住宅1235棟[6]。

2019年 – 川崎市登戸通り魔事件が発生する[13]。

川崎市登戸通り魔事件(かわさきし のぼりと とおりまじけん)は、2019年(令和元年)5月28日に神奈川県川崎市多摩区登戸新町で発生した通り魔殺傷事件[5][リンク切れ]。結果として被害者のうち2人が死亡し、18人が負傷した[2]。犯行の直後、被疑者は自ら首を刺し、その後死亡した。

川崎通り魔事件[6]とも呼ばれていたが、同市宮前区梶が谷で発生した別の通り魔殺人事件[7]などと区別するために川崎登戸通り魔事件または登戸通り魔事件[8][リンク切れ]と呼ばれている。

経歴・人物像

加害者Xは1967年(昭和42年)12月生まれで、犯行当時51歳。4歳か5歳の時に両親が離婚しており、父親が親権を持つ。以降、祖父母、伯父夫婦、その実子である従姉兄と暮らすことになるが、程なくして実父は蒸発する[61][リンク切れ]。当時からX宅の近所に住む住民によると、Xは幼少期にこの家で差別を受けていたのではないかと証言しており、それを表すものとして、Xが通っていたのは地元の公立小学校であったのに対し、従姉兄が入学したのは本件で犠牲者の出たカリタス小学校であった[61][リンク切れ]。こうした経緯から、一部のマスメディアは犯行の動機には伯父一家での扱いに対する積年の恨みがあったのではないかとの憶測を立てた。一方、別の近隣住民は「分け隔てなく育てていたようだ」との印象を持っている[61][リンク切れ]。

地元の公立中学校卒業後は、横浜市内の職業訓練校の機械科に進学する。2年間学んだ後に同校が紹介した企業に就職するものの、その頃から町田駅そばの雀荘に入り浸るようになり、そのうち同店で従業員として働き始め、近所に部屋を借りて生活するようにもなった[62][リンク切れ]。同店のオーナーだった人物の証言によると、麻雀はかなりの腕前で、自身の金を用いて客と麻雀を打つ“本走”も行い、よく勝っていたという。また仕事に対する責任感も強く、夜中から翌朝10時までの夜番の主任を任されており、営業後はXの部屋に同僚が集まることもあった[62][リンク切れ]。この他、複数の工場で働いたとみられるものの、事件当時に働いていた形跡はなく[63]、少なくとも10年以上前から仕事に就いていなかったとみられる[64]。

平成2年に祖父を、同9年には祖母をそれぞれ亡くす。Xが幼少期に暮らした伯父夫婦の家に戻ったのはその後とみられ、従姉兄は既に自立し家を出ており、ここからXと伯父夫婦との3人暮らしが始まったとされる。少なくとも平成10年前後から引きこもりの状態になっていったとみられ、近隣住民が時折外出する姿を見かけた程度であった[65][リンク切れ]。

直近1年の動き

事件直後に行われた川崎市の記者会見によれば、2017年11月、伯父夫婦は市の精神保健福祉センターに「(自身らが)高齢のため訪問介護を受けたいが、家に引きこもり傾向の、直接の会話がほとんどない状態の親族が同居している。そこに介護スタッフを入れても大丈夫だろうか?」という内容の電話相談をしており、これ以降も、2019年の1月までに電話で6回、面談で8回のやり取りを行ったことを明らかにした。しかし、伯父夫婦が「Xを刺激したくない」との意向を伝えていたため、センター側はその時点でXに直接会う考えはなかったとしている[65][リンク切れ]。

2018年に伯父夫婦宅への訪問介護サービスが開始。彼らは近い将来、介護施設へ移ることを念頭に置いていたため、その候補先の見学も行っていた。2019年1月、伯父夫婦は精神保健福祉センターの提案を受けて、Xの部屋の前に「今後自分はどうしたいのか」という趣旨の意思を問いただす手紙を置いたが、それを読んだとみられるXが伯父夫婦の前に姿を見せ、そこで「食事や洗濯、自分のことは自分でちゃんとやっている。それなのに“引きこもり”とはなんだ!」と強い調子で反論したという。これを受けて、伯父夫婦はセンター担当者に「本人の気持ちを聞くことができたので良かった。しばらく様子をみたい」と報告。センター側もそれ以上の働きかけは行わなかった。事件前に伯父夫婦と顔を合わせたのはこれが最後であった[65][リンク切れ]。

事件の前年の夏、Xは近隣の40代女性と小さなトラブルを起こしている。この女性によると、ある日の早朝、何度もインターフォンが鳴らされたため、夫が応対すると、Xから突然「お宅の庭から木が道路にはみ出していて、それが目に入った」という趣旨のクレームをつけられたことで口論に発展した。また、犯行当日の朝にこの女性はXと出くわしており、ゴミ出しをしている女性に、Xの方から「おはようございます」と挨拶をし、そのまま立ち去っている。女性はXが挨拶をしてきたことは初めてだったので妙に思ったと証言している[66][リンク切れ]。

事件後の捜査・刑事処分など

事件翌日、神奈川県警察はX宅を殺人容疑で捜索した。物は少なく整然としており、置かれていたのはテレビと家庭用ゲーム機、そのゲームソフトである『バイオハザード』や『ドラゴンクエスト』など。この他、20年以上前に刊行された雑誌『週刊マーダー・ケースブック』のシャロン・テート殺人事件やパリ人肉事件などを特集した号が捜索の末に見つかったと報じられた。また、飲食店のポイントカードやレンタルビデオ店などの会員証もなく、病院の診察券も20年前に作られたもので、運転免許も未取得であった[67][リンク切れ]。更には、スマートフォンやパソコンなどの電子通信機器を所持しておらず、自宅及び自室にはインターネットに接続する環境自体が無かったことも判明しており、これが動機の解明をより困難なものとした[64]。

2019年9月2日、捜査本部による捜査の結果、被疑者死亡のまま横浜地方検察庁に対して殺人罪・殺人未遂罪・銃砲刀剣類所持等取締法違反容疑により書類送検した[68][リンク切れ]。これにより捜査は終了することとなった。同年11月8日、横浜地方検察庁は被疑者死亡のまま本件を不起訴とする刑事処分を決定した[4]。

チャットgpt先生の5月28日のエッセイ

5月28日は、多くの出来事が歴史のページに刻まれた日です。この日は、日本国内で特に悲劇的な事件が二つ起こりました。1961年の岩手県での大規模山火事と、2019年の川崎市登戸での通り魔事件です。

1961年、岩手県新里村で出火した山火事は、フェーン現象による強風に煽られ、田老町、宮古市、岩泉町、普代村、久慈市にまで広がり、40万ヘクタール以上を焼き尽くしました。この火災により5人が命を落とし、119人が負傷し、1235棟の住宅が全焼しました。自然の力が引き起こす災害の恐ろしさと、人々の生活に与える影響を改めて実感させる出来事でした。

一方、2019年の川崎市登戸での通り魔事件は、社会に大きな衝撃を与えました。事件は通学中の子供たちを狙ったもので、2人が死亡し、18人が負傷しました。犯行後、加害者は自らの命を絶ちました。この事件は、社会の中で孤立し、絶望感を抱えた人々が引き起こす悲劇の一例として、多くの議論を呼びました。

このように、5月28日は悲しい出来事が重なった日ですが、それを通じて私たちは、多くのことを学び、再発防止のために努力する必要性を感じます。自然災害への備えや、社会の中で孤立する人々への支援の強化など、私たちが取り組むべき課題は多岐にわたります。

年末まであと217日。この日は、過去の出来事を振り返り、未来に向けてどのように行動するかを考える良い機会です。悲劇を忘れず、そこから学び、より良い社会を築くために一歩ずつ進んでいくことが、私たちの使命と言えるでしょう。