kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
慶祝と美とグノ-シスの弥増す日々
日々の過去の出来事

今日という日2月28日 1972あさま山荘事件終結、ほか 写真wikipedia あさま山荘

2月28日

20240228水曜日 旧暦1月19日 先勝 壬戌みずのえいぬ ジンジュツ 月齢 18.2

年末まであと306日(閏年では307日)ある。平年では、この日が2月の末日になる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/2%E6%9C%8828%E6%97%A5

2月28日の出来事

1804年 – イマヌエル・カント、哲学者(* 1724年)80歳で逝去。

1972年 – あさま山荘事件で機動隊が山荘を破壊して隊員が突入し人質を救出し、連合赤軍メンバー5人全員を逮捕して事件が終結。

2013年 – 吉祥寺女性刺殺事件[5]。

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1804年 – イマヌエル・カント、哲学者(* 1724年)80歳で逝去。

イマヌエル・カント(Immanuel Kant ドイツ語: [ɪˈmaːnu̯eːl ˈkant, -nu̯ɛl -]、当て字は「韓圖」[1]、1724年4月22日 – 1804年2月12日)は、プロイセン(ドイツ)の哲学者であり、ケーニヒスベルク大学の哲学教授である。

『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』の三批判書を発表し、批判哲学を提唱して、認識論における、いわゆる「コペルニクス的転回」をもたらした。

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カントは以下に引用するように1756年から1796年まで続けられたケーニヒスベルク大学での講義『自然地理学』において、明確に白色人種の卓越性を論じ続けた。

暑い国々の人間はあらゆる点で成熟が早めではあるが、温帯の人間のような完全性にまで到達することはない。人類がその最大の完全性に到達するのは白色人種によってなのである。すでに黄色のインド人であっても、才能はもっと劣っている。ニグロははるかに低くて、最も低いのはアメリカ原住民の一部である。

— イマヌエル・カント『自然地理学』第2部第1編第4節 「その他の生得的な特性に即した地球全体の人間に関する考察」[37]

ここでは、最劣等にアメリカ原住民を置いており、必ずしも黒人だけを最劣等に置いていたわけではないが、白人種を最優とすることについては生涯変化することはなかった[38][39][26]。

この他にもカントは、ニグロは生まれた時は白く、陰茎と臍の周囲だけが黒いが、火傷や病気によって白くなるし、熱帯地方に住むヨーロッパ人(白人)は多くの世代を重ねてもニグロにはならないと述べたり[40]、肌の黒さの原因はその地域の熱暑であるとしている[41]。

このようにカントは多くの著作で白人優位主義を述べており、そこにイデオロギー的な意図があったわけではないにせよ、カントは明確に白人優位主義を述べる人種主義者であり、人種差別的な限界があると指摘されている[24][25][42] [28]。

カントの人種学の研究は、ナイジェリア出身でポストコロニアル哲学者のE.C.エゼや、セレクベルハン(Tsenay Serequeberhan)、Mark Larrimore、Robert Bernasconi、ジャマイカ出身の政治哲学者C.W.ミルズ等によって発展してきた[43][25]。エゼは、カントの政治的人間学は、ヨーロッパ的自己を中心にして、他の非ヨーロッパ人種の人間性を否定するという特殊性を前提として成立する人間の植民地化であり、普遍主義的なヒューマノイド(疑似人間)を抽象化させることによって成り立っていると主張し、カント研究界をドラマティックに切断した[44][43]。セレクベルハンは、カントは、近代ヨーロッパが他の人間よりも優越しているという理念またはウソを作り上げた最も重要な哲学者の一人であるとした[45][46]。

他方で、カントの人種論に偏見はなく、到る所で白人の横暴をつき、黒人の肩を持っているという指摘[47]や、カントは人種の文化的生活を文化的な進歩の議論 において捉えており、人種の差異は必ずしも重要な意味を帯びるものではないと指摘されてもいる[48]。クラインゲルドは1790年代にカントは心をいれかえて、人種理論との矛盾が完全に解消されたわけではないが、人種間のヒエラルキーについての観念は後退したとしている[28]。

1972年 – あさま山荘事件で機動隊が山荘を破壊して隊員が突入し人質を救出し、連合赤軍メンバー5人全員を逮捕して事件が終結。

あさま山荘事件または浅間山荘事件[注釈 1](あさまさんそうじけん)は、1972年(昭和47年)2月19日から2月28日にかけて、長野県北佐久郡軽井沢町にある河合楽器製作所(本社・静岡県浜松市)の保養所「浅間山荘」[注釈 2]において連合赤軍の残党が人質をとって立てこもった事件である。

概要

1972年(昭和47年)2月19日、日本の新左翼組織連合赤軍の残党メンバー5人が、管理人の妻(当時31歳)を人質に浅間山荘に立てこもった。山荘を包囲した警視庁機動隊及び長野県警察機動隊が人質救出作戦を行うも難航し、死者3名(機動隊員2名、民間人1名)、重軽傷者27名(機動隊員26名、報道関係者1名)を出した。10日目の2月28日に部隊が強行突入し、人質を無事救出、犯人5名は全員逮捕された。人質は219時間(約9日)監禁されており、警察が包囲する中での人質事件としては日本最長記録である。

酷寒の環境における警察と犯人との攻防、血まみれで搬送される隊員、鉄球での山荘破壊など衝撃的な経過がテレビで生中継され、注目を集めた。2月28日の総世帯視聴率は調査開始以来最高の数値を記録し、18時26分(JST)には民放、日本放送協会(NHK)を合わせて視聴率89.7%(ビデオリサーチ・関東地区調べ)に達した[5]。同日のNHKの報道特別番組(9:40 – 20:20)[6]は、平均50.8%の視聴率(ビデオリサーチ・関東地区調べ)を記録した[5]。これは事件から50年以上が経過した2023年現在でも、報道特別番組の視聴率日本記録である。

2013年 – 吉祥寺女性刺殺事件[5]。

概要

2013年(平成25年)2月28日1時50分ごろ、武蔵野市吉祥寺の路上で帰宅途中のアルバイト女性(当時22歳)が少年2人に襲われ、背後から刃物で刺されて財布などを奪われる事件が発生した。被害女性は病院に搬送されたが、背中の傷2か所のうち1か所は肺にまで達しており、ほぼ即死であった。被害女性は青森県の高校を卒業した後は埼玉県に住む姉と同居して東京都の美容専門学校に通いながら美容師国家試験に合格しており、美容師として美容関係の仕事が決まったことをきっかけに一人暮らしをするため、2013年1月に吉祥寺へ引っ越してきたばかりであった。

少年2人は犯行直後に殺害現場近くのコンビニエンスストアで被害女性のキャッシュカードから現金を引き出そうとするも失敗した[1]うえ、路上で警察官から職務質問を受けて逃走した。この殺害現場近くの路上で逃走する少年2人と追跡する警察官を撮影した防犯カメラの映像は、報道機関に公開・報道されている。当日朝になり、ルーマニア国籍の少年(当時17歳)は他人名義の銀行通帳を所持していた占有離脱物横領容疑で逮捕され、翌3月1日には強盗殺人容疑で再逮捕された[1]。もう1人の日本国籍の少年(当時18歳)は当日こそ身柄を拘束されなかったものの、防犯カメラを解析した結果、駅から電車を乗り継いで立川方面に向かっていたことが判明した[2]。日本国籍の少年は3月2日夜に出頭し、翌3月3日に強盗殺人容疑で逮捕された[3]。

3月21日に東京地検立川支部は少年2人を東京家裁立川支部に送致し[4]、4月17日に東京家裁は検察官を送致した[5]。4月26日に東京地検立川支部は少年2人を強盗殺人罪で起訴した[6]。

少年2人は家出を繰り返し、不良行為を行う過程において共通の家出先としてアパートの部屋に入り浸っていた。そこにいた人物を介する形で2月上旬に知り合った少年2人は行動を共にすることが多くなり、ゲームセンターで遊ぶ金欲しさに強盗を計画すると、事件前日に国立市のスーパーマーケットで刃物を2本調達し、簡単に金を取るためには脅すよりも刺す方が有効と考え、真夜中に1人で歩いている人を狙い、たまたま通った被害女性を後ろから刺して財布などを奪った。少年は「犯行後に逃げる途中で刃物を捨てた」と供述し、捜索によって殺害現場近くのマンション敷地内で刃物2本が発見された。

2014年(平成26年)1月から3月にかけて東京地裁で裁判員裁判が開かれた。少年2人は殺意を否認したが、東京地裁は強盗殺人罪を認定し、求刑通り無期懲役判決を言い渡した[7]。その後、少年2人は控訴したが棄却され、無期懲役が確定した。

週刊新潮による実名報道

少年2人は当時未成年だったゆえに少年法に基づき匿名報道となったが、週刊新潮は彼らの顔写真と実名を掲載し、生い立ちなどを報道した[8]。

ちゃっとgpt先生の2月28日のエッセイ

2月28日は、哲学者イマヌエル・カントが亡くなった日であり、また日本ではあさま山荘事件や吉祥寺女性刺殺事件など、悲劇的な出来事も起きた日です。

イマヌエル・カントは、18世紀から19世紀初頭にかけて活躍したドイツの哲学者であり、彼の哲学は今日でも広く影響を与えています。特に、「純粋理性批判」や「実践理性批判」といった著作で知られており、その批判哲学は認識論における大きな転換をもたらしました。しかし、彼の人種差別的な見解や白人優位主義についても言及されており、その点については議論が続いています。

あさま山荘事件は、1972年に日本で発生した連合赤軍による立てこもり事件であり、警察との攻防がテレビで生中継されるなど国民的な注目を集めました。その過程で犠牲者が出るなど、多くの人々に深い衝撃を与えました。

また、吉祥寺女性刺殺事件は、2013年に発生した凶悪な犯罪であり、若い女性が無差別に刺殺されるという悲劇でした。この事件は、少年犯罪や犯罪被害者の安全に関する社会的な議論を呼び起こしました。

2月28日は、様々な出来事が起きた日であり、それぞれが社会や人々に影響を与えた重要な日と言えます。

*カントの命日は1804の2月12日の間違いである。
wikipediaの2月28日故人欄にのっていたので間違えた。

修正は 後日の予定。