kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
慶祝と美とグノ-シスの弥増す日々
日々の過去の出来事

今日という日11月1日 1755リスボン大地震万聖節に死者10万人、1920明治神宮開創死者38人ほか 写真wikipedia 

11月1日

20231101水曜日 旧暦9月18日 友引 癸亥いずのとい キガイ 月齢 17.4

年末まであと60日

https://ja.wikipedia.org/wiki/11%E6%9C%881%E6%97%A5

11月1日の歴史上の出来事

1755年 – ポルトガルでリスボン大地震が発生。津波と火災による死者10万人。

1790年 – エドマンド・バークが『フランス革命の省察』を出版。同書中でフランス革命が失敗に終わることを予言。

1920年 – 明治神宮創建。鎮座祭に群衆が殺到し、死傷者38人が生じる事故も発生[1]。

1950年 – ローマ教皇ピウス12世が教皇不可謬権を行使して聖母の被昇天を正式にカトリックの教義として宣言。

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1755年 – ポルトガルでリスボン大地震が発生。津波と火災による死者10万人。

1755年のリスボン地震(リスボンじしん、ポルトガル語: Sismo de Lisboa de 1755、英語: 1755 Lisbon earthquake)は、1755年11月1日に発生した巨大地震である。リスボン大震災(リスボンだいしんさい)あるいはリスボン大地震(リスボンおおじしん)などとも言う。

9時40分に[1] 西ヨーロッパの広い範囲で強い揺れが起こり、ポルトガルのリスボンを中心に大きな被害を出した。津波による死者1万人を含む、5万5,000人から6万2,000人が死亡した。推定されるマグニチュードはMw8.5〜9.0の巨大地震であったと考えられている[2]。震源はサン・ヴィセンテ岬の西南西約200kmと推定されている[3]。

11月1日はカトリックの祭日(諸聖人の日(万聖節))であった。当時の記録では、揺れは3分半続いたというものや、6分続いたというものもある[5]。リスボンの中心部には5m幅の地割れができ、多くの建物(85%とも言われる)が崩れ落ちた。即死した市民は2万人とされる。生き残ったリスボン市民は河川敷や港のドックなどの空き地に殺到した(狭い土地で無計画に都市開発が行われたために建物が密集し、市街には広場がなく狭い路地が入り組んでいた)が、やがて海水が引いていき、海に落ちた貨物や沈んでいた難破船が次々にあらわになった。地震から約40分後、逆に津波(押し波)が押し寄せ、海水の水位はどんどん上がって港や市街地を飲み込み、テージョ川を遡った[6]。15mの津波はさらに2回市街地に押し寄せ、避難していた約1万人の市民を飲み込んだ。津波に飲まれなかった市街地では火の手が上がり、火災旋風となって、その後5日間にわたってリスボンを焼き尽くした。

当時リスボンは27万5,000人の人口を数えたが、最大で9万人が死亡した。モロッコでも津波などで1万人が死亡したとされるが、記録がはっきりしておらず、続く11月18日から19日に起こった一連の地震の被害も合わさっている可能性もある[9]。

1790年 – エドマンド・バークが『フランス革命の省察』を出版。同書中でフランス革命が失敗に終わることを予言。

バーク哲学において、人間の知力などというものは、祖先の叡智が巨大な山のように堆積している古来からの〈制度〉には及ばない、矮小で欠陥だらけのものとの考えがある。それゆえ「理性主義」、すなわちデカルト的な人間の理性への過信を根源的に危険視し、慎慮を提起する。言い換えれば、個々の人間を多くの間違いを冒す不完全な存在とみなす、謙抑な人間観に基づいている。

文明社会が人間の知力で設計されたものでない以上、仮に、文明の政治経済社会に人間の知力や理性に基づく「設計」や「計画」が参入すれば、その破壊は不可避となり、個人の自由は圧搾され剥奪されるとする[要出典]。

バーク哲学の主要概念は、慎慮、偏見・固定観念、取得時効、仮定、相続・世襲、法の支配、慣習、伝統、私有財産[注 16]などである。

逆にバークが断固として拒絶した概念は、平等、人権、人民主権、抽象、理性(裸の理性)、進歩、革新・刷新、民主制、人意・人間の意向、人間の無謬性[注 17]などである。

1920年 – 明治神宮創建。鎮座祭に群衆が殺到し、死傷者38人が生じる事故も発生[1]。

明治神宮(めいじしんぐう)は、日本の東京都渋谷区にある神社。祭神は明治天皇と昭憲皇太后で、明治天皇崩御後の1920年11月1日に創建された[1][2]。旧社格は官幣大社で、勅祭社。鎮座祭は1920年(大正9年)11月1日に行われ、明治神宮はこの日を以て創建としている[2]。掌典長九条道実が勅使として御霊代を奉じて参向した。正午、一般人の参拝が許可された。総数50万人以上が参拝した。参拝者が殺到し混乱を来たしたため、神符や守札の授与が中止された[31]。群衆殺到により38人の死傷者も出た[32][33]。

1950年 – ローマ教皇ピウス12世が教皇不可謬権を行使して聖母の被昇天を正式にカトリックの教義として宣言。

聖母の被昇天(せいぼのひしょうてん、英: Assumption of Mary)とはカトリック教会の用語で、聖母マリアがその人生の終わりに、肉体と霊魂を伴って天国にあげられたという信仰、あるいはその出来事を記念する祝日(8月15日)のこと。1950年、当時のローマ教皇ピオ12世のエクス・カテドラ宣言によって正式に教義とされた[1]。

カトリックでは伝統的に、マリアは、その母であるアンナの母体に宿った瞬間から「アダムの罪(原罪)」から保護されたと信じられてきた。これが無原罪の御宿りの意味するところである。12月8日の無原罪の聖マリア[2] の祭日であり、1854年に定められた。

※聖母被昇天と直接関連のない8月15日の出来事については、8月15日#できごとを参照。

イエズス会結成(1534年)

第1回十字軍中東エルサレムへ向け欧州から出発(1096年)

アスンシオン建設(1537年)

フランシスコ・ザビエルら、日本到着(1549年)

イエズス会が京都に建設した聖母被昇天教会、通称「都の南蛮寺」の献堂ミサが行われる(1576年)

11月1日に起きた歴史的な出来事や重要な出来事を振り返ることは興味深いことです。この日に起きた出来事についてエッセイを書くことで、歴史的な背景やその出来事の重要性について深く探求できます。

11月1日の歴史的な出来事を振り返りながら、その日の重要性、影響、そして現代社会にどのような意味を持つのかについて考察できるでしょう。

まず、1755年のポルトガルでのリスボン大地震についてです。この地震は津波と火災によって多くの死者を出し、その規模は非常に大きかったとされています。この出来事は建築や都市計画における重要な教訓を提供し、地震対策や都市設計の改善に寄与しました。また、カトリックの祭日であるこの日に発生したことも、宗教的な視点からの解釈が行われることでしょう。

1790年にエドマンド・バークが『フランス革命の省察』を出版したことも重要です。彼がフランス革命が失敗に終わることを予言した点に焦点を当て、なぜそのような予測が的中したのかについて考察できます。彼の哲学や思想についても深堀りし、その影響を現代社会にどのように見るべきかについても言及できます。

1920年には明治神宮が創建されたことも重要な出来事です。この神宮は日本の歴史と宗教において重要な位置を占めており、その建設に際して発生した事故や混乱についても探求できます。また、明治神宮の役割や意義についても議論できます。

最後に、1950年にローマ教皇ピウス12世が聖母の被昇天を正式にカトリックの教義として宣言したことについても触れることができます。これはカトリック教会における信仰において重要な出来事であり、聖母マリアに対する信仰の一環として位置づけられます。

このエッセイを通じて、歴史的な出来事がどのように私たちの現代社会や文化に影響を与え、教訓を提供しているかについて考えることができます。さらに、それぞれの出来事がその時代にどのような背景や状況で発生したのかを考察することで、歴史の意味を深く理解できるでしょう。