kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
慶祝と美とグノ-シスの弥増す日々
日々の過去の出来事

今日という日1月27日 1593ジョルダーノブルーノ異端審問所拘束、1967アポロ1号炎上、ほか写真wikipediaアポロ1号スタッフ

1月27日

20240127日曜日 旧暦12月17日 仏滅 庚寅かのえとらコウイン 月齢 15.6

年末まであと338日

https://ja.wikipedia.org/wiki/1%E6%9C%8827%E6%97%A5

1月27日の出来事

1593年 – コペルニクスの地動説を擁護したジョルダーノ・ブルーノがローマの異端審問所に引き渡される。7年間に獄中に留め置かれた末に1600年に異端審問を開始。

1967年 – アポロ1号が訓練中に事故で炎上。宇宙飛行士3人が死亡。

1989年 – 北方事件: 佐賀県北方町で、道路脇の崖下から女性3人の遺体が発見される。

2013年 – サンタマリアナイトクラブ火災: ブラジルのサンタマリアのナイトクラブで火災が発生し、233人以上が死亡[5]。

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1593年 – コペルニクスの地動説を擁護したジョルダーノ・ブルーノがローマの異端審問所に引き渡される。7年間に獄中に留め置かれた末に1600年に異端審問を開始。

ジョルダーノ・ブルーノ(イタリア語: Giordano Bruno, 1548年 – 1600年2月17日)は、イタリア出身の哲学者、ドミニコ会の修道士。

1592年、ヴェネツィア官憲によって逮捕された。さらに、ブルーノのことを聞きつけた異端審問所が介入し、最終的にローマの異端審問所に引き渡された。

ローマ時代(1593年–1600年)

同上

1593年にローマに移されて以降、裁判はなかなか実施されず、ブルーノは7年を獄中で過ごした。彼への告発理由は神への冒瀆、不道徳な行為、教義神学に反する教説であり、ブルーノの哲学と宇宙論にみられるいくつかの点も問題とされた。ブルーノは教皇クレメンス8世に直接面会して自説の一部を撤回することを明言すれば嫌疑は晴れると考えていたが、クレメンス8世はこれを拒絶し、異端審問の開始を命令した。

異端審問が行われると、当時の異端審問所の責任者であった枢機卿のロベルト・ベラルミーノはブルーノに対し、自説の完全な撤回を求めたが、ブルーノは断固としてこれを拒絶した。結果、罪状は24に上り、上記に加えて魔術・占術の信奉、マリアの処女性の否定、輪廻説の支持などが挙げられた。1600年1月8日、ベラルミーノはブルーノを異端とし死刑判決を下した。同年2月17日、ローマ市内のカンポ・デ・フィオーリ広場に引き出されたブルーノは火刑に処された。処刑の様子はブレスラウの学生ガスパール・ショップ (Gaspar Schopp) が目撃し、家族へ送った手記により後世に伝えられている。それによると、ブルーノは処刑を宣告する執行官に対して「私よりも宣告を申し渡したあなたたちの方が真理の前に恐怖に震えているじゃないか」と言い、結果舌枷をはめられた。さらに、刑の直前に司祭が差し出した十字架へは侮蔑の一瞥をくれただけで顔を背け、死の際には1つも声を発さなかったという。遺灰はテヴェレ川へ投げ捨てられ、遺族に対しては葬儀ならびに墓の造営も禁じられた。

1967年 – アポロ1号が訓練中に事故で炎上。宇宙飛行士3人が死亡。

アポロ1号は、アメリカ合衆国のアポロ計画において、1967年2月21日の発射を目指して準備が進められていた最初の有人宇宙飛行計画である。AS-204(アポロ-サターン204)の指定番号が与えられている。同年1月27日、ケープ・カナベラル空軍基地34番発射台上で発射の予行演習を行っていた際に発生した火災により、船長ガス・グリソム (Virgil I. “Gus” Grissom)、副操縦士エドワード・ホワイト (Edward H. White)、飛行士ロジャー・チャフィー (Roger B. Chaffee) の3名が犠牲になり、司令船も焼失した。アポロ1号の名は当初は乗員たちによって任意に称されていたが、1967年4月24日、NASAはこの事故を記憶にとどめるため、正式にこれを計画の番号とした[1]。

火災発生直後、NASAは原因究明のために「アポロ204事故調査委員会」を招集した。出火の直接の原因は究明されることはなかったが、飛行士の生命を奪った要因は、初期型アポロ司令船の設計および構造における広範囲な致命的な欠陥に起因するものであるとされた。これらの問題が修正されるまで、アメリカの有人宇宙飛行計画は20か月間中止された。

この計画で使用される予定だったサターンIB型ロケット (SA-204) は、後に月着陸船の最初の無人飛行実験であるアポロ5号に流用された[2]。アポロ計画における最初の有人飛行は、1968年10月に発射されたアポロ7号で、1号の予備搭乗員であった飛行士たちによって達成された。

1989年 – 北方事件: 佐賀県北方町で、道路脇の崖下から女性3人の遺体が発見される。

佐賀女性7人連続殺人事件(さがじょせいななにんれんぞくさつじんじけん)とは、1975年から1989年までに佐賀県で7人の女性が殺害された事件。犠牲者のうち6人が水曜日に失踪している事から「水曜日の絞殺魔事件」とも呼ばれる。

1989年に3人の女性(5人目から7人目の犠牲者)が遺体で発見された殺人事件は、訴追され「北方事件(きたがたじけん)」と呼ばれている(遺体発見現場が北方町だったため)。しかし、いずれの事件も無罪判決が出ており、結果的に全て未解決事件となっている(1件目から4件目に関しては、起訴されずに公訴時効が成立)。

2013年 – サンタマリアナイトクラブ火災: ブラジルのサンタマリアのナイトクラブで火災が発生し、233人以上が死亡[5]。

サンタマリアナイトクラブ火災は、ブラジル・リオグランデ・ド・スル州サンタマリアにあるナイトクラブ「Kiss」で、2013年1月27日深夜2時~2時30分頃(現地時間)に発生した火災[3]。

239人の死者と[4]169人の負傷者を出した[5][6][7][1][8]。これはブラジルの火災史上、1961年に503名の死者を出したニテロイのサーカス会場火災に次ぎ、近年のナイトクラブ火災では、中国洛陽市で2000年のクリスマスに309人の死者を出した洛陽クリスマス火災に次ぐ惨事となった。屋内で演出用の花火を違法に使用した事に起因するものであり、過去にも2003年にアメリカ合衆国ロードアイランド州のナイトクラブ「Station」(死者100人、詳細)、2004年のアルゼンチンブエノスアイレスのナイトクラブ「República Cromañón」(死者194人)で同様の事例がある。被害者が拡大した理由は、防音のために天井に貼られていたポリウレタンフォームから発生したシアン化水素ガスと見られている[9]。

チャットgpt先生の1月27日のエッセイ

月27日に起きた歴史的な出来事やその日の特筆すべき事例についてお話しします。

1月27日の出来事の中で特に重要なものは、以下の3つです。

1593年 – ジョルダーノ・ブルーノの異端審問開始:

この日、イタリア出身の哲学者で地動説を擁護したジョルダーノ・ブルーノが、ローマの異端審問所に引き渡されました。ブルーノは異端とされ、7年間にわたり獄中で過ごした後、1600年に異端審問が開始され、最終的に火刑にされました。彼の死は、科学と宗教の対立や言論の自由に関する重要な歴史的な出来事の一環と見なされています。

1967年 – アポロ1号の事故:

この日、アメリカの有人宇宙飛行計画であるアポロ計画の最初の有人宇宙飛行であるアポロ1号が、訓練中に発生した事故で炎上し、船長ガス・グリソム、副操縦士エドワード・ホワイト、飛行士ロジャー・チャフィーの3人の宇宙飛行士が死亡しました。この事故により、アメリカの有人宇宙飛行計画は一時中断され、問題が修正されるまで20か月間再開されませんでした。

2013年 – サンタマリアナイトクラブ火災:

ブラジルのサンタマリアにあるナイトクラブ「Kiss」で火災が発生し、233人以上が死亡しました。この火災は、屋内での花火使用が原因で発生し、その後のシアン化水素ガスの発生が被害を拡大させました。これはブラジルの火災史上、惨事となり、ナイトクラブでの火災が過去にも類似の事例があったことが指摘されています。

これらの出来事は、異端審問、宇宙開発の困難さ、そして公共の場での安全性に関する課題を示しています。歴史的な出来事から学び、安全性と倫理に対する意識を高めることが大切です。