kagamimochi-nikki 加賀美茂知日記
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発心集 第二第2話 禅林寺永観律師の事 The Outsider Episode14 実務能力に長けたアウトサイダ-

第二第2話 実務能力に長(た)けたアウトサイダ- 禅林寺永観律師の事

第二第2話 禅林寺永観律師の事

(ぜんりんじ ようかんりっしのこと)

永観律師(源国経の子 張承元年1132年没 79歳)という人物がいた。

長年、念仏に心を傾け、名誉や利益を考えずに、俗世を捨てたような生活を送っていた。

しかし、彼は関わり合いのあった人々を忘れず、特に助けを必要としている人々を見捨てることはなかった。また、アウトサイダーとして深い山林に身を隠すということもなかった。

彼は東山(ひがしやま)の禅林寺に住んでいた。そして、時料(じりょう ときりょう)つまりみずからの生活費である米などを人々に貸して布教の方便としていた。

物を借りるときも、返すときも、彼は全て貸し借りに来る人々の心に任せて処理した。

いっけん不合理にみえるが、その方がかえって人々は不正や不法をなすことが誰もなかった。まあ、借りているものは、「仏のもの」という意識が 皆に働いていたからであろう。

また、どうしても貧しい人が返せない場合でも、永観律師はその人を呼び寄せ、その者の借りた物の価値に応じて、念仏を唱えさせて代償(だいしょう)とした。

当時国営であった東大寺の別当(べっとう  管理責任者)が欠員になったとき、白河院は 永観律師を別当に任命した。

人々は彼の選任に驚き、「世事に無頓着なあのお方のことだ。きっと、別当職はお引き受けになられまい。」と、噂していた。しかし、永観律師自身は 彼なりに思うところがあったのであろう。

この白河院の命令を辞退申し上げなかった。

奈良平安以来、当時 東大寺は広大な荘園(しょうえん 私有地  領地)を所有するようになっていた。

したがって、永観律師が東大寺別当職着任にあたって、長年縁故(えんこ)の弟子たちや関係の者達が、我も我もと争ってこの東大寺の荘園の利権に預かろうとした。

しかし、永観律師は こういった期待に一切応えず、ただの土地一所(いっしょ)も縁者に与えることはなかった。

結局、東大寺の荘園の利益は 皆 寺や付属の施設設備の修理の費用に使われた。

そして、律師みずからが東大寺に向かうときは、みすぼらしい風がわりな馬に乗っていった。

自分の日々の生活に必要なだけの物資を小僧に持たせて、彼を伴って行ったのである。

こうして三年間 寺院修繕の仕事を終えた後、彼は即座に辞職した。これもひとたび 別当職についたのち 長期に渡る例が多い中で異例の短い 着任となった。

白河院も 律師を留任(りゅうにん 留め置くこと)するなどのご命令をしなかった。結果、これも当代の鬼才(きさい)と思われる特異な人物を後任になさった。

一連の情勢の推移から推察するに、よくよく 白河院と永観律師のお二人が心を合わせていたのではないかと、思われる。

事実、当時の世評で、「東大寺が衰退して荒廃している現状の改革を、永観律師以外では安心して任せられる人もいない、と白河院が別当職の任命をなさった。そのことを律師ご自身もよく理解されていたに違いない。」と、述べるものがあった。

いずれにしても、

永観律師が 長年 もとからの禅林寺の経営を行っているときに、職務上の 寺の事物や権限を わたくしにする(私物化する)というようなことが一切なかった。

その彼の経歴が 東大寺の別当職に任命されたことの最大の原因となっているのである。

この禅林寺に有名な梅の木があった。

実のなるころになれば、これを無駄にせず、毎年とって藥王寺(やくおうじ)の悲田院(ひでんいん 福祉施設)の病人達に毎日といっていいほど 薬として摂取させていた。だから、周辺の人達は この梅の木を『悲田梅(ひでんばい)』と呼んでいた。

私 鴨長明がこの記録を書いている現在は かなりの古木になってしまってはいるが、季節になると華も僅(わず)かばかりは咲くそうである。木の立ちぶりはかなり生気が抜けたようになっているそうであるが、昔からの記念物として今でも禅林寺にはその梅の木は残っているということである。

あるとき、永観律師のいる禅林寺の堂に 客人が来た。

来客に関わらず、律師は手元に置いた算木(さんぎ 計算機)をいじり続けて、その客人には見向きもしなかった。

その有様を見て その客は、

「律師は、その昔 人に金品を貸し与えて 自分の生活がどうにか成り立つほどのつつましい生活をしていたと聞いていた。

しかし、実際のところ このように金の計算には厳密で しっかりと利息はとりたてていたのであろう。」と思った。

そうこうするうちに、律師は計算が終わって算木をしまい、その客人と改めて向き合った。

そのとき、客人は律師に、「算木で 何の計算をされていたのですか。」と問うた。

すると、律師は、「年来 唱えてたまってきた念仏の数を 気になったので数えてみたのです。」と、こたえられた。

とりたてて驚くほどの話でもないかと思われるが、この永観律師のエピソ-ドであるだけに 貴く思われたのである。

と、私 鴨長明に このエピソ-ドを教えてくれた人物が語った。

(20230731訳す)